東京高等裁判所 昭和63年(う)1249号 判決 1990年4月25日
本籍
岩手県江刺市南町五一番地
住居
東京都中野区本町四丁目一九番一二号
ロイヤルプラザ新中野六〇四号室
財務コンサルタント
小野寺良雄
昭和四年六月九日生
本籍並びに住居
群馬県勢多郡粕川村大字女渕六五〇番地の二
会社役員
下境恒治
大正一四年二月二六日生
本籍
長野県諏訪市大字湖南四七二九番地
住居
埼玉県熊谷市大字上之二二三二番地
無職
関禮治
大正一五年七月二六日生
右の者らに対する各相続税法違反被告事件について、昭和六三年九月二七日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人らからそれぞれ控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官豊嶋秀直及び同樋田誠各出席の上審理し、次のとおり判決する。
主文
原判決中、被告人小野寺良雄に関する部分を破棄する。
被告人小野寺良雄を懲役一年八月に処する。
被告人下境恒治及び同関禮治の本件各控訴を棄却する。
理由
本件各控訴の趣意は、弁護人松本博名義(被告人小野寺良雄の関係)、同小林健二名義(被告人下境恒治の関係)並びに同石井元、同牧義行及び同金子正志連名(被告人関禮治の関係)の各控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官豊嶋秀直名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。
(被告人小野寺の関係)
弁護人松本博の控訴趣意第一の一(事実誤認の主張)について
所論は、要するに、元東京国税局長の谷川宏が本件相続税の申告につき、その申告前から深く関与し、当初から虚偽過少の申告であることを認識していたにもかかわらず、原判決は被告人ら三名及び小宮丈明が共謀の上、本件相続税法違反の所為に及んだのであって、谷川が本件相続税につき虚偽過少の申告をすることを事前に承諾していたとまでは断定出来ない旨認定しているが、これは事実を誤認したものであり、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。
そこで、原審記録を調査して検討するに、被告人ら三名が小宮丈明と共謀の上、本件犯行に及んだものであって、元東京国税局長の谷川宏が本件相続税につき虚偽過少の申告をすることを事前に承諾していたとまで断定することは出来ない旨認定判示した原判決は、正当としてこれを是認することが出来る。所論に鑑み、更に補足して説明する。
関係証拠によれば、本件相続税法違反の税務調査に関する陳情依頼等につき、谷川宏と直接折衝したのは被告人下境恒治(以下「被告人下境」という。)のみであって、被告人小野寺良雄(以下「被告人小野寺」という。)及び被告人関禮治(以下「被告人関」という。)は右谷川とは本件相続税の申告前は勿論、申告後も一度も会っておらず、いずれも被告人下境を通じて、その折衝経過の報告を受けているに過ぎないことが認められる。したがって、被告人小野寺らと谷川との間で本件相続税法違反に関する共謀があったことを肯定するためには、まず、谷川と被告人下境との間で共謀があったことを前提としなければならない。そこで、この点に関する同被告人の供述について検討するに、被告人下境は、検察官に対し、あるいは原審において、次のような供述をしている。
すなわち、
一 被告人下境は、以前から元東京国税局長の谷川宏と懇意にしていたところ、昭和五六年暮れころから同五七年三月ころに掛けて、倒産した会社振出しにかかる合計三〇〇〇万円の不渡手形を所持し、その換金に窮していた谷川から右手形の換金を依頼され、一旦は断ったものの、右手形を操作して何とかして欲しい旨重ねて依頼されたため、これを引き受けることにしたが、しかし、その当時、換金出来る当てが全くなかったので、納税に困っている者の脱税交渉に関与し、その成功報酬を得て右手形の換金資金に充てようと考えた。
二 そこで、まず、被告人下境は、昭和五六年暮れころ、知人の小山貞市を介して知り合った被告人関に対し、「谷川に福田炭鉱事件のことを持ち出して、国税当局に働き掛けてもらえば、国税局の幹部として表沙汰にならないよう谷川の働き掛けを受け入れ、税務申告の調査を型どおり簡単にすませて、脱税を成功させることが出来るので、高い税金が掛って困っている人がいたら紹介して下さい。」といって依頼するとともに、同人に福田炭鉱事件(被告人下境らにおいて、新潟県内に所在する福田炭鉱の炭鉱主である福田敏夫が税金を滞納したとして、国税当局が右炭鉱を差押えて公売に付したところ、後日滞納の事実が存しないことが判明したが、その炭鉱はすでに権利の取得者とされた者等によって乱掘されていたため、炭鉱主が損害を被ったと主張する事件。)に関する一件記録をも手渡し、その一読を勧めておいたところ、昭和五七年六月末ころに至り、東京都内に所在するパレスホテルにおいて、被告人関から被告人小野寺を紹介されたので、その際も、同被告人に対し、右と同様の説明をした上、適当な納税者がいたら紹介して欲しい旨依頼した。
三 同年七月末ころ、被告人下境は、被告人関から電話で直接会って話したいことがある旨の連絡を受けたので、熊谷市内に所在する同被告人の税理士事務所まで出掛けて行ったところ、同事務所において、同被告人から被告人小野寺がその顧問先で約二〇億円の遺産に掛る税金のことで相談を受けているから、被告人ら三名で相談しようといわれた上、更に谷川とも会っておきたいので、その約束を取り付けて欲しい旨依頼されるや、これを承諾する一方、谷川にも連絡して被告人関と会って欲しい旨依頼し、同年八月五日午前一一時ころ、前記ホテルで会う旨の承諾を得たが、谷川は当日急用が出来たといって約束の場所には姿を見せなかった。そこで、被告人下境と同関とは、同日午後零時半ころに至り、同ホテルにやって来た被告人小野寺を交えて、本件犯行の手段、方法等について具体的な相談をし、その手続きについては被告人小野寺が担当することにした。そして、その申告に当たり、谷川が国税庁長官に話をして、その確認を取ることが前提であるので、その確認を取るまで本件相続税の申告手続きを進めないで置くことにした。
四 被告人下境は、同月一〇日ころ、谷川をその勤務先に訪ねて、同人に対し、「友人の親父が亡くなって大変な財産を相続したのです。地価が上がったので高い税金が掛ってくるのです。そこで、私が債権者となって債務控除によって税金を減額し申告したいのです。つきましては谷川さんから国税庁長官にこの申告の調査を簡単にしてもらうよう頼んでもらうことは出来ませんか。福田炭鉱事件のことも国税庁長官に話してやって下さい。」と依頼したところ、谷川は、「下境さん、福田炭鉱事件を持ち出すことはどうかと思う。下境さんのことは長官によく話はするが、とにかく書類でも持っていらっしゃい。書類でも持って来なければ話にならないからね。」といわれた。そこで、被告人下境は、同日の午後、その足で被告人小野寺の事務所に行き、そのころ同被告人が作成した被告人下境を貸主とし、被相続人小宮平三郎を借主とする昭和四六年一一月一〇日付金銭消費貸借契約書(貸主が借主に対し三億五〇〇〇万円を貸し渡し、これに年一割の割合による利息を付して支払うという内容のもの。)を受け取り、その翌日か翌々日に右契約書を谷川に届けた上、谷川に対し、「この借用証で債務控除をして申告したいので、国税庁長官に話をつけておいてくれますか。」と依頼したところ、同人は、その契約書に目を通し、被告人下境の顔を見て、何かにやっと笑い顔をされながら、「ずいぶん金持ちだね。これを預かっておいていいですかね。なるべく早く長官に話をしておくから。」といい、更に、その数日後、谷川に呼び出されて、同人の勤務先を訪ねた際も、「頼まれた件、長官とも話がついたから申告の事務手続きを進めなさい。これは高くつきますよ。まあ金利一年分位は考えてくれているんでしょうね。」といわれた。被告人下境としては、谷川が依頼の趣旨に添う陳情をしてくれた報酬として一年の利息相当分である三五〇〇万円を要求したものと解し、「三〇〇〇万円位でいいでしょうね。」というと、谷川は「まあ、よきに計らってください。」といわれた。そこで、被告人下境は、被告人小野寺に対し、以上のような経過を説明して、早速申告手続きをとるように話し、また、被告人関に対しても、同月一八日ころ、同様の趣旨を電話で伝えた。
五 その後、同年一〇月から一二月までの間、二回にわたり、被告人下境は、谷川を訪ねて、国税庁長官に本件相続税に関する調査を早く実施して欲しい旨依頼したが、その際も、同人は「あまりがたがた騒ぐのはどうかと思う。長官には頼んであるのだから心配しないように。また、機会をみてなるべく早く長官に話しておくから。」といわれ、更に翌五八年九月ころから、谷川は何度も約束してある金を早くくれといって来るようになったが、そのうちに本件に関する税務調査が開始された。その調査が被告人らの予期に反し、かなり厳しかったため、谷川の対応がおかしいと感じていたところ、被告人小野寺からももう一度谷川に確認してくれといわれたので、被告人下境は、同年一二月初めころ谷川を訪ね、同人に対し、これまでの税務調査の経過を説明した上、「どうも調査が今一つ厳しいような気もするのですが、どうなっているのでしょうか。国税局の直税部なりどこかに指示がいって、どこの部局が主導的に処理してくれるようになっているのか、一緒に行って直接確認してくれませんか。」と依頼し、同年一二月二〇日ころ、谷川とともに東京国税局に赴き、同局直税部長及び資産税課長に会った。その際、谷川は、直税部長らに対し、「長官から話があったでしょうが、この方が下境さんです。下境さんの関係しておられる小宮さんの相続税の申告の件、聞いておられますね。」といい、更に資産税課長から「債務控除に関する書類、私製証書でもいけないとは言えませんが、できたら公正証書であればなおよいのですが、相続人がちゃんと債務を承継したということであれば、相続人と下境さんとの間の公正証書があれば非の打ちどころがないですからね。下境さん、公正証書はできるのですか。」などといわれるや、被告人下境の言葉に調子を合わせるように、「それじゃ下境さん、早速公正証書を作成して直税部の方へ出しておきなさい。」などといってくれた。そこで、被告人下境は、被告人小野寺に対し、以上の経過を説明するとともに、谷川からも公正証書を作成するようにいわれた旨を伝えた上、同月一四日、同被告人及び小宮丈明らとともに霞が関公証役場に赴き、七億円の架空債務につき、債権者下境恒治、債務者小宮丈明とする債務確認及び弁済契約公正証書を作成し、これを東村山税務署に提出した。
六 被告人下境は、本件脱税につき確実に目処がついたので、取りあえず谷川に謝礼を支払っておこうと考え、同年一二月一六日、谷川を勤務先に訪ねて、「これ約束の金、取りあえず一〇〇〇万円だけ持ってきました。」といって、現金一〇〇〇万円を手渡したところ、谷川は、その現金を受け取った上、「これ前に話していた手形、使えないようなものだが、まあ、受け取ったしるしにでも持って行って下さい。」というので、それを受け取って帰ったが、その際、「下境さん、あと五〇〇万円だけでも年内にくださいよ。」といわれた。そこで、同月二七日にも現金五〇〇万円を谷川に届けた。なお、被告人下境は、谷川に対し、昭和五七年一二月二七日にも同様の趣旨で額面一〇〇万円の小切手を渡して置いた。
以上のように、被告人下境の供述によれば、谷川は、被告人下境に対し、不渡手形(金額三〇〇〇万円)の換金を依頼していたところ、本件相続税の申告前に、その不渡手形を本件脱税により得た報酬で換金しようと考えた同被告人から、同被告人が被相続人小宮平三郎に対し、七億円の債権を有しており、これを計上して本件相続税の申告手続きをするので、その調査を簡単に済ませるよう国税当局に働き掛けて欲しい旨依頼されるや、これを承諾した上、国税庁長官に働き掛けてその承諾を得たので、申告手続きを進めるように伝えたばかりでなく、その後も東京国税局に赴き、同局の直税部長らに同様の陳情をしたほか、その謝礼を執拗に請求して、三回にわたり、現金等合計一六〇〇万円を受け取っていたことになるので、これらのことを前提とする限り、谷川は、本件相続税法違反の事実につき、虚偽過少の申告をすることについて、事前に認識していた疑いが極めて濃厚であるといわざるを得ない。
しかしながら、更に子細に検討してみると、被告人下境が検察官に対して供述していることと原審において供述していることとが必ずしも一致しておらず、しかも、被告人下境が本件犯行に加わった動機は、谷川から依頼された不渡手形の換金のみを目的としたものではなく、同被告人には当時定まった収入がなかったので、脱税に関与して成功報酬を得る目的も含まれていたほか、本件相続税の申告に際して計上する七億円の債務が架空なものであることや、本件脱税によって得た金員をもって谷川から依頼された不渡手形の換金資金に充てることについて、被告人下境が谷川に明確に伝えていることを認めるに足りる証拠が存しないこと、昭和五七年八月五日被告人らがパレスホテルに集まり、本件犯行に関し具体的な相談をした際、その席に出席することを約束していた谷川が急用が生じたとして、その場に姿を見せなかったこと等の不自然な部分が存すること、のみならず、谷川は、本件につき被疑者として取り調べを受けた際、検察官に対し、被告人下境から七億円の債務を計上して本件相続税を申告する旨聞いた際、同被告人が小宮平三郎に対し、その債権を有していることについて多少疑いを抱き、同被告人に念を押したところ、一度に貸し付けたのではなく、何回にも分けて貸し付けた旨の説明を受け、それでもなお疑問は残ったが、同被告人に将来問題になったときは国税局の直税部長に陳情してやる旨伝えたことはあっても、その当時、国税庁長官に本件のことを陳情していないのであるから、被告人下境に対し、本件相続税の申告につき国税庁長官に陳情して話が付いているから申告手続きを進めるように申し向けたことは勿論、その謝礼が高くつき一年分の金利位は出してくれるだろうと申し述べたことも、また、昭和五七年八月五日パレスホテルで被告人らと会う約束をしたこともないこと、かえって、後に本件が架空の債務を計上したものであることを知るに及んで、同被告人に騙された思いでいる旨供述しており、これらのことに徴すると、所論に副う被告人下境の前記供述には多大の疑問があるといわざるを得ず、同被告人の前記供述のみから、谷川が本件相続税につき、虚偽過少の申告をすることについて事前に承諾していたものとはにわかに断定することが出来ず、したがって、これと同旨の認定をした原判決には事実の誤認はないというべきである。
仮に、谷川が本件相続税につき虚偽過少の申告をすることを事前に認識しており、したがって、本件相続税法違反の罪について、同人が被告人らと共犯関係に立つとしても、被告人小野寺としては、他の被告人らや小宮と共謀の上、本件犯行に及んでいる以上、本件の刑事責任を免れることは出来ないのであって、谷川が本件犯行の共謀に加わったか否かは、被告人小野寺に関する本件相続税法違反の成立には何ら消長を来すものではないといわざるを得ない。してみると、仮に、この点に関する事実につき、原判決に所論のような誤認があったとしても、その誤認は判決に影響を及ぼすことはないというべきである。
論旨は理由がない。
同第一の二(事実誤認の主張)について
所論は、要するに、被告人小野寺は、被告人関や同下境らから福田炭鉱事件を利用して行う税務処理は脱税にならない旨の説明を受け、それを信じて本件に及んだものであって、脱税に加担することの明確な認識がなかったのに、その明確な認識のもとに本件犯行に加担した旨認定した原判決は事実を誤認したものであり、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。
そこで、原審記録を調査して検討するに、被告人小野寺は、脱税の明確な認識をもって、他の被告人らと共謀の上、本件犯行に及んだ旨認定した原判決は正当として是認することが出来る。所論に鑑み、若干補足して説明するが、関係各証拠によると、次の事実を認めることが出来、これに反する原審における被告人小野寺の供述は、長年税理士としてその業務に従事して来た者の供述としては余りにも不自然であるばかりでなく、他の関係証拠に照らし、到底措信することが出来ない。すなわち、
一 被告人小野寺は、昭和五七年六月中旬ころ、従兄弟に当たる千葉良輔から埼玉の税理士会長をしている被告人関が税金を安くすることが出来る人を知っているので一度会ってみないかと誘われた。右千葉のいう税金を安くすることとは脱税のことを意味すると思ったので、そのようなことが出来るはずがないと考え、一度は断ったが、何事も経験だから騙されたと思って一度会ってみないかと勧められ、同被告人に会うことにした。そして、同月二六日、被告人関に会ったが、その際、同被告人から、「福田炭鉱事件に関与した下境という人がいて、大蔵省のOBをよく知っており、元国税局長等にも親しくしていて、政財界や国税当局に顔の利く人物であり、この人に頼めば多額の税金で困っている事案も解決してもらえて税金を安く出来るんです。元国税局長が最終的に事態を収拾してくれることになっているので大丈夫なんです。知り合いに高額の税金で困っている事案があったら紹介してください。納税者の税金を安くすることが出来たら、そのお客からの報酬をみんなで等分に分配しましょう。一度下境さんに会ってみませんか。」と勧められた。被告人小野寺は、その話を聞いて、納税者が脱税をするときに下境という国税局等に顔の利く人物に頼めば税務調査を省略するか簡略にするよう国税当局に働き掛けて脱税がばれないようにしてくれる上、報酬ももらえると思い、その数日後、被告人下境と会った。その際、同被告人は、まず福田炭鉱事件について説明した後、元東京国税局長の谷川を介して国税局長や国税庁長官に働き掛けてもらい、福田炭鉱事件を持ち出して高い税金を払わなくて済むようにすることが出来ることや、万が一の場合には谷川が国税庁長官に話をつけて事態を収拾することになっている旨被告人関から聞いたことと同様の説明をしてくれた。被告人小野寺としては、その説明を聞いて脱税が成功するものと思った。
二 その後、被告人小野寺は、小宮丈明から本件相続税の申告について相談を受けた際、被告人下境らから聞いたことを説明したところ、その方法で税金を安くして欲しい旨依頼されたが、その遺産総額が約二一億円もあり、その相続税が約一一億円にもなることを知って驚くとともに、このような脱税を指南すれば、多額の報酬がもらえるものと思ったが、被告人下境から一度話を聞いただけであったので、軽率に脱税依頼を引き受けてもまずいと思い、同被告人らに相談してから返事をすることにした。そして、被告人関らと相談の上、予定通り本件相続税を不正の手段により安くすることを引き受けることとし、その旨を右小宮に連絡する一方、被告人ら三名がパレスホテルに集まり、本件相続税の申告について、その脱税の手段方法等に関する具体的な相談をし、その手続きについては被告人小野寺が担当することになった。そこで、被告人小野寺は、被告人下境を債権者とし、被相続人小宮平三郎を債務者として、七億円の債務を有するかの如き虚偽の消費貸借契約書を作成した上、小宮丈明がすでに他の税理士事務所に依頼して作成した遺産分割協議書など、本件相続税に関する関係書類を取り寄せた上、その協議書は小宮丈明がその債務を相続したかのように追加記入して申告し、本件脱税に及んだ。
以上のような本件犯行に至った経緯、動機、態様等に徴すれば、被告人小野寺は、本件相続税につき虚偽過少の申告をし、これが脱税行為に該当することを当初から明確に認識していたことは明らかであって、被告人らが福田炭鉱事件を持ち出そうとした意図は、国税当局に陳情する際、その幹部らに圧力を掛けて、本件脱税行為の調査を簡略にさせようとすることにあったのであるから、被告人小野寺が福田炭鉱事件による税務処理は脱税にならないと信じて申告したものである旨の主張は到底採用することが出来ず、原判決には所論のような事実の誤認はないものというべきである。なお、所論は、この点に関し、被告人小野寺の検察官に対する供述調書は理詰めの誘導等によって得た結果を録取して作成されたものであるから、その供述は信用することが出来ない旨主張する。しかしながら、右調書に記載されている内容は他の関係証拠とよく符合しており、しかも、同被告人の検察官に対する供述調書は、原審において同意書面として取り調べられていることなどをも併せ考えると、十分信用することが出来るというべきである。
論旨は理由がない。
(被告人全員の関係)
弁護人松本博の控訴趣意第二及びその余の弁護人らの各控訴趣意(いずれも量刑不当の主張)について
各所論は、要するに、原判決の量刑が重過ぎて不当であり、特に被告人小野寺、同関については、その刑の執行を猶予すべきであるというのである。
そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せ(被告人下境及び同関の関係)て検討するに、本件は、被告人ら三名が小宮丈明と共謀の上、架空の債務を計上して課税価格を減少させる方法により、右小宮の相続税を免れようと企て、昭和五七年八月一九日、所轄税務署長に対し、被相続人小宮平三郎の死亡により相続した財産の相続税課税価格は二〇億四八六八万一〇〇〇円であり、このうち右小宮の相続した正規の課税価格は一二億三〇六四万九〇〇〇円であったにもかかわらず、右平三郎には被告人下境に対する借入金三億五〇〇〇万円とその利息分三億五〇〇〇万円との合計七億円の債務があり、これを小宮丈明が相続することになったので、その取得財産から右債務を含む葬儀費用等の諸経費を控除すると、相続人全員分の相続税課税価格は一三億五三九万三〇〇〇円であり、そのうち小宮丈明分の課税価格は五億四〇二八万七〇〇〇円となるので、同人の納付すべき相続税額は三億一二九〇万二四〇〇円である旨を記載した内容戯偽の相続税申告書を提出し、もって不正の行為により同人の納付すべき相続税三億八九六二万七七〇〇円を免れたという事案であって、その逋脱額が巨額である上、逋脱率も五五・四パーセントに達していること、本件は被告人下境が元東京国税局長の谷川から不渡手形の換金依頼をされたことに端を発したとはいうものの、同被告人は、単にそれのみを目的としたのではなく、当時定職に就いていなかったため、定まった収入がなかったこともあって、脱税に関与して不渡手形の換金資金のほか、多額の成功報酬を得ようと考え、まず、税理士であって、当時関東信越税理士会専務理事及び同税理士会埼玉県支部連合会副会長の地位にあった被告人関に対し、福田炭鉱事件のことや、元東京国税局長の谷川あるいは大蔵省のOBと面識があるので、税務調査を簡略にしてもらうことが出来るから、納税に困っている人がいたら紹介して欲しい旨依頼し、更に同被告人を介し、あるいは自らも税理士をしていた被告人小野寺に対し、右と同様のことを説明しておいたところ、同被告人が小宮から本件脱税の依頼を受けるや、同被告人は多額の報酬を得た上、国税庁の高官らと交際して、そのことを将来の税理士業務に役立てようと考え、また、関東信越税理士会の会長選挙に出馬しようとしていた被告人関は、その選挙資金を得るとともに、国税当局の高官らとの交流を図ることが出来るものと考え、本件犯行に加担しようと決意したこと、そこで、被告人三名は、一堂に会して、相続税には必ず税務調査がある上、大口の場合には会計検査院の検査対象にもなるので、谷川に依頼するにしても形式をきちんと整えておく必要があること、相続税の脱税手段としては資産の評価を操作する方法と債務控除の方法があるが、本件の場合、申告時期が迫っているので、債務控除の方法によること、その債務控除の額は相続財産の三分の一が常識となっているので七億円とするが、貸し付けた時期を近くにしたり、貸し付けた元金を大きくすると、債権者の資力について反面調査で厳しく追及される危険があるので、貸し付けた時期を一〇年位前にし、元金を債務額の半分位の三億五〇〇〇万円とし、債務の総額が元利合計で七億円となるようにすること、その返済は二〇年間の年賦により分割して支払うこととし、その返済を本件の税務調査が終了するまで継続すること、これらの債務を計上すると、約四億円の相続税が減額されるので、その三割を報酬としても一億二五〇〇万円となるので、そのうち四割を被告人下境が、三割を被告人小野寺及び同関がそれぞれ取得すること、その債務の存在を証明する金銭消費貸借契約書については被告人小野寺において作成し、その書面には印紙税法改正前の印紙を使用することなど、被告人らの有する知識と経験をフルに活用し、本件犯行の手段方法について、その細部に至るまで具体的に相談して実行したこと、その際、被告人関は、終始積極的に発言し謀議を取纒めていること、被告人小野寺は、小宮が予め他の税理士に依頼して作成した関係書類を取り寄せた上、その遺産分割協議書に右架空債務を追加記入して、本件虚偽申告に及んだ後、知り合いの税務署副署長を介して本件申告につき税務調査の促進方を申し入れ、更に税務調査が開始されて、事情聴取された際も右債務が架空のものではない旨を主張したばかりでなく、その後も谷川に依頼して税務調査を簡略にしてもらうよう働き掛けるとともに、架空の債務確認並びに弁済契約公正証書を作成し、これを所轄税務署長に提出したほか、小宮が叔父に勧められて修正申告をしようとするや、これを断念させるなど、徹底した犯行発覚の防止策を講じていること、本件の犯行態様が極めて大胆かつ計画的であることはもとより、甚だ巧妙悪質であって、被告人らの果たした役割はいずれも重大であること、本件による報酬等として、被告人小野寺は約七〇〇〇万円を、同下境は約六〇〇〇万円を取得し、これを費消しているにもかかわらず、被告人小野寺については、原判決時において五五〇〇万円(うち二〇〇〇万円は福田敏夫に交付。)が、同下境については、現在に至るまで右金額がそれぞれ返済されていないこと、被告人小野寺及び同関は、税理士の立場をわきまえず、多額の報酬を得ようとして本件脱税に加担したものであって、その動機には何ら酌むべきものがないのみならず、社会に与えた影響も大であること、以上の諸点に徴すると、被告人らの刑責は誠に重いというべきである。
してみると、被告人らは、いずれも本件犯行の重大性に気付いて深く反省しており、前科前歴も全くないこと、被告人小野寺は、税理士の登録を抹消し、現在財務コンサルタントとして働いている上、本件によって得た金員については長期にわたってでも返済するつもりでいること、被告人下境は、予て懇意にしていた谷川から不渡手形の換金依頼を受けるや、その資金捻出に窮した挙句、他の被告人らを誘って本犯行に及んだものであるが、同被告人のみを強く責めることは出来ない上、本件によって得た金員につき返済する意思を有しており、また現在健康状態も勝れないこと、被告人関は、税理士の登録を抹消しただけでなく、その他の公職もすべて辞した上、就職することもせず、自宅において写経等に励むなど、ひたすら謹慎しており、相当の社会的制裁も受けているほか、本件による報酬を全く得ていないこと、その他被告人らの家庭の事情等被告人らのため酌むべき情状を十分考慮しても、本件は、被告人らに対し、刑の執行を猶予すべき事案とは認められず、被告人小野寺を懲役二年に、同下境を懲役二年六月に、同関を懲役一年二月に各処した原判決の量刑は、被告人小野寺の関係ではその宣告当時において、被告人下境及び同関の関係では現時点においても、誠にやむを得ないものであって、これが重過ぎて不当であるとは考えられない。
なお、被告人小野寺及び同下境の弁護人らは、本件は福田炭鉱事件がその基盤となっているところに大きな特色があり、国が福田炭鉱事件を未解決のまま放置しているのであるから、国にも責任の一端があるので、この点を同被告人らに有利に斟酌すべきである旨主張する。しかしながら、各所論は、福田炭鉱事件により、被告人下境あるいは炭鉱主の福田敏夫が国に対し債権を有していることを前提とするものであるところ、これを認めるに足りる証拠が存在しないばかりか、仮に、被告人下境らが国に対し所論のような債権を有していたとしても、当事者の異なる小宮の本件相続税と相殺するがごときことは法律上許されない筋合いであって、右各所論の理由のないことは明らかであるから、これを被告人らのため有利に斟酌すべきものとは考えられない。そもそも本件において、被告人らが福田炭鉱事件を持ち出したのは、国税当局に圧力を掛け、本件虚偽過少の申告が露見しないで済むように利用しようとしたまでのことであって、本件相続税の申告とは何ら関係がないものであるから、右各所論は到底採用することは出来ない。なお、被告人下境の弁護人は、本件相続税の申告につき国税庁長官が承認しているのであるから、同被告人の所為は逋脱罪の構成要件に該当せず、仮に違法であるとしても、その点を同被告人に有利な情状として斟酌すべきである旨主張するが、本件虚偽過少の申告につき、国税庁長官がこれを承認していたことを認める証拠は存しない上、そのような承認が適法な課税処分とは到底考えられないから、本件逋脱罪の構成要件該当性や違法性を阻却するものとはいえず、したがって、右所論は採用の限りでなく、この点を同被告人のため有利に斟酌すべきものとも認められない。
また、被告人関の弁護人らは、小宮が刑の執行を猶予されており、更に谷川が起訴されていないことなどに比し、同被告人の量刑が重過ぎる旨主張する。しかしながら、被告人関は、当時税理士として活動していたばかりでなく、税理士会の重要な役職に就任していたものであって、その資格及び立場上、納税義務の適正な実現を図ることを使命としていたにもかかわらず、その立場をわきまえず本件脱税に深く関与し、多額の報酬を得ようとしたものであり、しかも本件犯行の手段方法等を謀議した際、終始積極的な発言をしてこれを取纒めていることなどに徴し、小宮とは比較にならないほど重要な役割を果たしているのであって、所論指摘の諸事情を十分考慮しても、同被告人と小宮とは同列に論ずることは出来ない。また、すでに説示したとおり、谷川は本件に深く関わっていたが、これが虚偽過少の申告であることを認識し、かつ、右のような申告をするにつき、事前に承諾するなど、被告人らと共謀したとまでは断定出来ないから、同人の刑責と被告人関の刑責とを比較すること自体相当とはいえない。しかも、谷川に対する不起訴裁定は、検察官の専権により、同人固有の事実及び情状に関する証拠判断に基づき行われたものである上(なお、谷川は原判決後死亡。)およそ、量刑は、当該被告人ごとの個別的情状を勘案して各別になされるべきものであって、谷川の不起訴を援用して過度に被告人の利益に斟酌を求める所論は首肯し難いところである。したがって、所論のような事情をもってしても、被告人関に対し刑の執行を猶予すべきものとは認められない。
被告人らの論旨はいずれも理由がない。
しかしながら、当審における事実取調べの結果によると、被告人小野寺は、原判決後である平成二年四月二三日に至り、本件相続税法違反に関連して、小宮から本件による報酬として受領した前記金員の返済について合意が成立し、被告人において、三五〇〇万円の支払い義務あることを認め、そのうち二〇〇〇万円については同日に支払い、一〇〇〇万円については同年八月末日限り、五〇〇万円については同年一二月末日限りそれぞれ支払う旨の示談を成立させて、右二〇〇〇万円の支払いを了したこと、そのため小宮は被告人小野寺を宥恕するに至ったことが認められ、以上の事情に原審当時から存した同被告人に有利な諸事情を併せて再考してみると、本件が犯情の軽くない税法違反の案件であって、前叙の犯情に徴し、同被告人に対しその刑の執行を猶予することを相当とする事情が生じたとまではいえないものの、同被告人に対する原判決の量刑をそのまま維持するのは明らかに正義に反するものといわなければならない。
よって、刑訴法三九七条二項により、原判決中被告人小野寺に関する部分を破棄し、同法四〇〇条但書により被告事件について更に次ぎのとおり判決する。
原判決の認定した事実に刑種の選択も含めて原判決と同一の法令を適用し、その刑期の範囲内で被告人小野寺を懲役一年八月に処し、原審における訴訟費用については刑訴法一八一条一項但書を適用して同被告人に負担させないこととする。
被告人下境、同関の両名については、同法三九六条により本件各控訴を棄却すべきものである。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 寺澤榮 裁判官 堀内信明 裁判官 新田誠志)
昭和六三年(う)第一二四九号
○ 控訴趣意書
被告人 小野寺良雄
右の者に対する相続税法違反被告事件の控訴趣意書は、左記のとおりである。
昭和六三年一二月二一日
右弁護人 松本博
東京高等裁判所
第一刑事部 御中
記
第一 原判決は明らかに判決に影響を及ぼす事実の誤認がある。
一 原判決は、本件の相続税申告は、被告人小宮丈明(以下「「被告人小宮」という。)、同小野寺良雄(以下、「被告人小野寺」という。)、同関禮治(以下、「被告人関」という。)及び同下境恒治(以下、「被告人下境」という。)の四名の共謀によるもので、谷川宏元東京国税局長(以下、「谷川」という。)は、本件の相続税につき虚偽過少申告することを事前に承諾していたとまで断定することはできないとして、同人には、本件の架空債務が架空のものであるとの認識はなかったと認定している。
然しながら、原審で取り調べられた証拠によれば、谷川は、本件の相続税申告にはその申告前から深く関与していて、当初から被告人小宮の相続税につき虚偽過少申告することについての認識があったとみるのが相当である。谷川のこの点に関する供述(同人の昭和六二年七月一七日付検面調書での供述記載)は措信できない。
1 本件の相続税申告は、谷川が被告人下境に対して、昭和五六年暮か同五七年初頭ころ、その不良債権である金三千万円の不渡手形回収方を依頼したことにはじまることは関係証拠によって明らかである(証人下境の第六回公判の証人調書一五丁~一六丁、被告人関の第一二回公判の供述、第一二回公判調書五九九丁~六〇一丁)。その依頼の趣旨は、福田炭鉱事件を利用した税金事案の処理で得られる資金の中から右の不良債権の回収を図るということであったのである(証人下境の証言及び被告人関の供述、前同調書)。そして、さらに、被告人下境の供述によれば、本件の相続税申告については、債務控除の方式によること、その債務としては本件の架空債務を計上して行なうこと等について、その申告前からオープンにして谷川と相談したとの趣旨の供述をしていることである(証人下境の第六回公判の証人調書九七、九八、一〇三、一〇四丁)。この供述は、被告人下境の供述(第九回公判、同調書三一三丁)からみて信用できる証言とみてよい。
2 右の不良債権は、不渡手形(額面一五〇万円の約束手形二〇枚)であって、振出会社はすでに倒産し、もはや単なる紙片にすぎないものとなり、回収は不可能となっていたものである。谷川もこのことを十分認識しており、それにもかかわらず、その回収方を被告人下境に依頼したのは、被告人下境が福田炭鉱事件による税金相殺による税金の減額交渉でこれまでしばしば谷川に依頼にきており、この被告人下境の取り扱う会社の税金の減額交渉で得た資金をもって、右の手形を買い取ってくれることを期待した旨谷川は供述している(谷川の昭和六二年七月一七日付検面調書一一項の供述記載)。この供述は、ことの真相をぼかしてはいるが、右の下境証言と矛盾はしないのである。福田炭鉱事件を利用した税金減額交渉の中から得られる資金によって右の不良債権の回収を意識していたということは、谷川は、右の不良債権は全く回収不能のもので、福田炭鉱事件を利用することのほかに回収する方法はないことを知っていたからにほかならない。右の福田炭鉱事件を利用した税金減額交渉なるものの実体はいかなるものであるかについては、福田炭鉱事件が、発生し、これが福田敏夫供述(同人の昭和六二年七月一三日付検面調書八項の供述記載)にある内容で一応の合意に達するまでこれに深く関与していた谷川においては、このことの詳細を十分認識していたのである。このことからしても、谷川には、本件の被告人小宮の相続税申告において計上されている債務が架空のものであることについての認識があったことは、十分推認できるところである。
3 谷川は、被告人下境より、昭和五七年一二月に金一〇〇万円、昭和五八年一二月一六日に金一、〇〇〇万円及び同年同月二七日に金五〇〇万円の計金一、六〇〇万円を受領していることは証拠上明白であるが、このうちの金一、〇〇〇万円及び金五〇〇万円の計金一、五〇〇万円については、谷川は、昭和五八年九月頃から、被告人下境に対し、執拗に当初の約束の履行を迫り(被告人下境の昭和六二年七月一五日付検面調書七項の供述記載、下境元子の検面調書四項の供述記載)、本件の架空債務に係る公正証書が作成された(なお、同公正証書の作成は、後述するように、谷川が被告人下境を東京国税局に同行して、その係員の示唆に基づいて作成されたものである。)後になって、ようやく支払われたもので、このことは、被告人下境と谷川との間で、前記のごとき約束があったからにほかならないことを示している。
4 右1ないし3に述べた事実からみて、谷川の検面調書(昭和六二年七月二〇日付)における、本件の架空債務について、これが架空のものであるとの明確な認識はなかった旨の供述はとうてい措信できないのである。谷川は、前述のとおり、福田炭鉱事件の実体及び福田炭鉱事件を利用した税金減額交渉なるものの実体について十分知っていたのであって、しかも債権者が被告人下境であり、その債務額は金七億円であるという契約書をみて、被告人下境は、これが成功すれば多額の報酬を得ることとなり(谷川の昭和六二年七月一七日付検面調書一四項の供述記載)、あらためて、同資金での前記の不良債権の回収を頼んだ(谷川の右検面調書一六項の供述記載)というのであり、これらのことからみても、谷川には、右の認識はあったとみるのが相当である。
5 右の次第で、原判決には重大な事実誤認があり、しかも、谷川の関与がなければ本件は起こりえなかった事案であることからみて、この誤認は、判決に影響を及ぼすこと明らかである。なお、谷川については、本弁護人は、原審において、証人申請をしたが、同人の病状を理由として、これを却下されている。然しながら、聞くところによると、同人はいまなお健在であるということである。
二 原判決は、被告人小野寺は、本件の相続税申告が、脱税行為に該当するとの明確な認識のもとに、本件の共謀に加担し、本件の相続税申告行為を行なった旨認定している。
然しながら、被告人小野寺は、当時、被告人関及び同下境から、福田炭鉱事件を利用した脱税処理は、同事件の関係者が国に対して有する債権と相殺することによって税金を減額するという形でこれまで運用されてきており、同事件を利用した税務処理は脱税にはならないと勧められ、その説明を信じて、その指導のとおりにこれに加担してきたものである。当時、税理士職にあったものとして、そのように認識し、判断したことの軽率さは非難されるとしても、少なくとも本件に加担するにあたっては、脱税行為に加担することになるとの明確な認識はなかったのである。
1 まず、本件の相続税申告は、単純に納税義務者から頼まれて被告人小野寺が発案して申告したものではなく、福田炭鉱事件を利用した高額の税金事案の処理を谷川と共に目ろんでいた被告人下境及び同関から依頼されて、本件の被告人小宮の相続案件を紹介し、両被告人の指導のもとに実行されたものである。すなわち、
(一) 本件相続税申告は、前述のとおり、谷川が下境に対し、福田炭鉱事件を利用した税務処理により、その不良債権の回収を依頼するなど谷川の積極的な関与のもとになされたものであり、この依頼を受けた下境は、同年五月下旬頃、右の谷川からの依頼の処理について、被告人関に対して、福田炭鉱事件に関する一件書類を渡し、谷川からの前述の依頼の趣旨を説明して、その協力を求め、高額の税金事案で困っている人あるいは他の税理士を早急に紹介するよう依頼するのである。被告人関は、自らの受任案件の中にはそのような高額の税金事案はなかったので、顧問先の社長である迫豊に対して、その頃、税金で困っている人あるいは他の税理士を紹介してほしい旨依頼する。
(二) 他方、被告人小野寺は、従弟である千葉税理士を通じて、迫豊の事務所で、昭和五七年六月二六日頃、被告人関を紹介され、同被告人から、「同被告人の友人で、福田炭鉱事件の税金相殺の処理て税金の減額ができる下境という人がいること、この税金相殺の処理を進めるについては、谷川が(国税庁)長官と協議して税金減額の処理を進めて行かれること、この税金相殺の処理は、国税庁長官がその取り決めに従って処理を進めて行くので、これは悪いことではなく、国が支払えない債権を税金で相殺するんだから、脱税ではないこと、自分も既に何度か下境さんの関係で、自分の関係する事案をまけてもらっていること」等の説明を受け、「もし、高額の税金で困っている事案があれば、この炭鉱事件の税金相殺の処理で処理するので紹介してほしいこと、それで一度下境さんに会ってみませんか」という誘いを受けたのである(被告人小野寺の第一〇回公判の被告人供述、同調書二四・二五丁)。そして、同月三〇日頃被告人関同席のもとで同下境を紹介され、同被告人より右と同旨の内容で更に詳しい説明を受けると共にそれまでの福田炭鉱事件利用による税務処理の具体的事案についての話もあり(被告人小野寺の前同調書三六丁)、両被告人より、あらためて、高額の税金事案があれば、この福田炭鉱事件で処理するので紹介してほしい旨頼まれたのである。
(三) また、一方、被告人小野寺は、顧問先である山崎産業株式会社の社長山崎氏より、同社の開発用の土地を取得するについて、その相談に応ずるために交渉相手方への同行を求められては同行していたが、その交渉相手方の一つである株式会社ビッグサンガレージの事務所にも同行していて、同社の社長である被告人小宮に面識をもつようになっていたところ、右の被告人関らの福田炭鉱事件による税務処理により税金を安くすることができるとの話を聞いて間もなくの頃、山崎社長に同行して被告人小宮方に訪れた際、たまたま、被告人小宮から、父親が死亡して相続税がたくさんかかり、その相続税を払うために先祖伝来の土地を売らなければならなくなって困っている等の話がされた。被告人小野寺はこの話をきき、被告人関らから福田炭鉱事件による税務処理で税金を減額する方法は、脱税ではないんだという話を聞いて間もなくのことだったので、被告人小宮に役に立つことになるかもわからないと考えて、「実は、私もこういう話を聞いておりますよ」というようなことで、右の福田炭鉱事件に関する税金減額の話をしたのである(被告人小野寺の前同調書二八丁~三一丁)。このようなことがあって、昭和五七年七月下旬頃、被告人小野寺は、同小宮から、右の福田炭鉱事件による税金減額の件で相談を受け、これによる税金減額を考えてもらえないかともちかけられた。しかし、被告人小野寺としては、同事件による税金減額は、具体的にどのような手順で行なわれるものなのか、その詳細についてはわからず、何よりも被告人関らから、まず同被告人らに紹介し、相談するよういわれていること、自分で引き受けますといえる立場でもなかったので、被告人関らに相談した上で返答する旨答えて、その場を辞したのである(被告人小野寺の前同調書三二丁裏~三四丁表)。
(四) そこで、被告人小野寺は、福田炭鉱事件による税金減額の話が最初にあったのは被告人関からであり、同被告人より高額の税金事案について紹介するようにいわれていたので、七月二六日頃、被告人関に対して、右の被告人小宮からの依頼案件について、その資産額、税額、相続人、申告期限等について話して、同事案が被告人関らのいう福田炭鉱事件による税金減額の対象となりうるものか、なりうるとして、どのような手順でなされるのかについて相談したところ、同被告人は、被告人下境に連絡して相談する旨答えた。被告人関は、同月三〇日頃、右の被告人小宮の相談案件について、被告人下境と相談した上で、八月五日午前一一時から被告人関、同下境及び谷川三名で会合を持ち、同日午後一時からは被告人関、同下境及び同小野寺三人が会合を持つことを決め、被告人関において、同小野寺に対して右午後一時からの会合についてのみ連絡し、午前中の会合にはあえて被告人小野寺を除外している。
(五) このようにして、右の八月五日の午後の会合において、本件の相続税申告の内容及びその手順について具体的に決定されるが、同会合において、被告人関は、福田炭鉱事件の税金相殺の処理で行う場合においても、相続税には必ず調査があるので、形式だけは整えなければならないとして、専ら同被告人が提案し、リードする形で、なんの議論もなく、被告人下境及び同小野寺はこれにうなずくといった程度で、全く事務的に淡々として決定されていったのである。被告人小野寺においては、全くはじめてのことであるので、福田炭鉱事件による税金事案の処理がどのような内容と手順でなされるかについては全く不案内でわからないので、自ら発案できうる立場にはなかったのである。それ故、その後の申告手続についても、そこで決められた内容と手順に従って、本件の申告を行っているのである。
(六) 右の次第で、本件の相続税申告は、谷川が被告人下境にその不良債権回収を依頼した当初から、福田炭鉱事件の税金相殺による税務処理によって処理するとの方針が谷川及び被告人下境らの間で決められていて、被告人小野寺としては、福田炭鉱事件を利用した税務処理はどのような手順でなされるかについては、全くはじめてのことであり、自らその処理手順を発案できる立場にはなかったのであり、それについては、被告人関らにはすでに経験ずみでこれに詳しいものと理解していたので、両被告人の指導に従って、本件の申告手続を行ったものであり、自らこれを主導的になし得る立場にはなかったのである。
2 被告人小野寺が右のような経緯で本件の相続税申告に加担し、かつその申告手続を実行したのは、ひとえに被告人関らの福田炭鉱事件による税務処理は脱税ではないとの自信に満ちた説明を信じていたからにほかならない。
当時、被告人関は税理士会の要職にあり、しかも税理士業界の将来を担う人とまでいわれていた人であるので、このような人がいやしくも脱税を他人に勧めることなどありえないことであること、同被告人はすでに自己の関係する事案の税金について福田炭鉱事件を利用した処理をしてきたとの説明、事案の処理には谷川が国税庁長官等と協議するなどして深く関与されていること等から、このような処理が国税当局にあっても不思議ではないと考えたからである。ことに本件においては、あらかじめ谷川が国税庁長官と協議してその了解を得た後に申告手続を行うことになっており、元東京国税局長である谷川及び長官が脱税に加担することなどありえないことと考えられたので、益々これを信用することとなったのである。現に本件においては、谷川が国税庁長官と右の趣旨の協議を行いその了解を得たので申告を行なってよい旨の被告人下境の指示に基づいて本件申告がなされており、被告人小野寺としては、同下境及び関の説明のとおりの協議がなされ国税庁長官の了承があったものと信じて本件の申告をしているのである。
3 被告人小野寺が右のように考えて、本件に加担し、行動してきたことについては、同被告人は、本件について査察調査がなされて以来、逮捕されるまでの間、国税局の査察の取調べ及び東京地方検察庁の取調べにおいても、一貫して述べており、原判決の認定するようにこの裁判になってはじめて主張したことではない。すなわち、被告人小野寺は、国税局の査察調査における取調べ及び東京地方検察庁での逮捕されるまでの取調べにおいても、本件の客観的事実はすべて認めた上で、本件は、福田炭鉱事件の税金相殺による減額処理としてなされたもので、脱税ではないと信じて申告したものであることを一貫して述べてきている。なお、原判決は、被告人小野寺は、第一回公判で本件犯行を自認した旨認定するが、原審で証拠として取調べられた同被告人作成の「訴訟用」と題するノートの記載によれば、同被告人の第一回公判での供述は、その真意とするところは、客観的事実は認めるとの趣旨であったことは明らかである。
4 しかるに、逮捕後の被告人検面調書によると、右の点は全く欠落し、被告人小野寺と当初から脱税であるとの明確な認識のもとに本件に加担し、福田炭鉱事件はこの脱税工作を補強するための一つの道具にすぎなかったとされている。これは、同被告人が当時理解し、認識していたところと全く異なっており、このような供述になったのは、取調べ検察官の理づめによる誘導の結果であって、真実ではない。
すなわち、取調べ検察官は、被告人小野寺に対し、「逮捕したのは君を守るためである。」、「君は早く出たいか、谷川をやってほしいか」とか、「小野寺だけは悪者にしない。谷川もやる。谷川をやればお前はゴマのハエだ」などといって、本命は谷川であって、被告人小野寺がどのように述べても大勢に影響はない旨同被告人をさとし、福田炭鉱事件についてのそれまでの同被告人の供述については「結果は脱税なのだから当初から脱税を意図して行ったことになるのだ。」「炭鉱事件のようなあるかないかわからない与太話に君が乗るはずがない。谷川と長官が責任をもって処理するということを信じて、この話に乗ったのだろう」とさとされ、取調べ検察官の理づめの誘導等によって供述させられたもので、右の点に関する供述は信用できないところである。
5 原判決は、右の、本件相続税申告行為が脱税行為に該当するとの明確な認識はなかったとの被告人小野寺の主張は、不合理であり、不自然である旨認定する。然しながら、前述の谷川供述にもあるとおり、福田炭鉱事件を利用した税務処理がそれまでも行われてきていたのであって、現に小野寺は、被告人下境らより、福田炭鉱事件を利用した税務処理については、同事件の経過を熟知している谷川が、各事案について、それぞれの事案の性質により、それにあった最も効果的な処理方法を考えてくれる旨の説明を受け、これによりこれまで処理された具体的事例についても説明を受けていたのである(被告人小野寺の第一〇回公判における供述・同調書二七丁、二八丁)。もし、不合理、不自然なものであれば、それまで国税庁がそのような処理を許容するはずはないのであり、当時被告人小野寺が前記のように認識し、理解したのもうなずけるところである。
第二 現判決は刑の量定が著しく不当である
現判決は、被告人小野寺を懲役二年の実刑に処したが、右刑の量定は著しく不当であり、執行猶予に処するのが相当である。
一 本件は、前述のとおり、被告人小宮、同小野寺、同下境及び同関の単純な共謀による事案ではなく、元東京国税局長であった谷川が当初から深く関与し、同人は、被告人下境との間で、回収不能な金三、〇〇〇万円という不渡手形金の回収を福田炭鉱事件を利用した税金減額交渉で得られる資金の中から回収すべく、本件の被告人小宮の相続税事案を利用することを取り決め、被告人下境において、同関に対して、この谷川との話し合いの趣旨を説明して、同被告人の協力を求めたことに起因しており、谷川の関与なくしては、本件は起り得なかった事案である。
然るに、谷川は、不起訴のままであり、本件を被告人らのみの責任に帰するのはきわめて不公正である。原判決は、前述のとおり、谷川には、本件の債務が架空のものであったとの事前の認識があったとは断定することはできないとの前提で、被告人らの量刑を判定している。よって、右の点からだけみても、原判決の刑の量定が著しく不当であることは明らかである。
二 原判決は、前述のとおり、被告人小野寺は、本件の相続税申告行為は脱税行為に該当するとの明確な認識のもとに、本件相続税申告において、重要な役割を果たした旨認定し、それを前提として、同被告人の量刑を判定している。
然しながら、前述のとおり被告人小野寺には、本件相続税申告行為が脱税行為に該当するとの明確な認識はなく、福田炭鉱事件による税務処理は脱税にならないとの被告人関らの説明を信じて、本件の加担したものである。また、被告人には、福田炭鉱事件を利用した税金減額がどのような形でこれまで運用されてきたのか全くの不案内で、その実状に詳しいものと当時の被告人下境らの説明から信じていた同被告人らの指示に従って、前述のとおり、単に事務的に本件に関与したにすぎなかったものである。しかも、本件の相続税申告においては、谷川及び被告人下境の間において、福田炭鉱事件を利用して、債務控除の方法で税金減額を行う旨決定されていて、それに基づいて、申告手順がきわめて事務的に淡々として、かつ、それも喫茶店という多数の部外者がいる前で決定されていったのである。従って、被告人小野寺においては、本件の架空債務の計上も、福田炭鉱事件を利用した税務処理上、形式的にその形をととのえるために必要なものという程度にしか考えていなかったのである。そして、その関与した程度も、ここで、決定されたことがらを被告人関らの指示に従って、事務的に遂行しただけにすぎないのである(被告人小野寺第一〇回公判における供述)。
よって、右の点からみても、原判決の量刑は不当である。
三 また、原判決は、本件犯行は、極めて手のこんだ巧妙かつ大胆な手段を伴うものである旨認定している。
然しながら、被告人小野寺は、前述のとおり、現時点は別として、本件の申告当時においては、福田炭鉱事件の一つの解決として、当時の国税庁長官と福田敏夫及びこの解決に国側の立場に立って尽力した下境との間で、秘密の取決事項があり、本件の相続税申告は、その取決めに従って、谷川と国税庁長官とか協議し、その了解を得た上で申告手続を行うもので、本件の金銭消費貸借契約書及び債務確認書等は、その取決めに従った申告手続を行う上で、単にその形式をととのえるための手段にすぎないもので、国税庁長官から担当の税務署長に指示がなされて処理されるものと、当時の被告人関及び同下境の説明から理解していたのである。
被告人小野寺が金銭消費貸借契約書等は、単に形をととのえるための形式的なものにすぎないと考えていたのは、資料として添付された改ざんされた遺産分割協議書について、改ざん前のものと改ざん後のものが不用意に同時に提出されていて、あまり、そのことに意を用いていなかったところからみても明らかである。また、申告書提出後において、被告人関らの指示もあり、全く堂々と税務署長宛に税務調査の促進方を申し入れているのも、脱税であるとの認識があるとすればこのような行動はとれないであろう。むしろ、被告人小野寺としては、国税庁長官からの指示が担当者の移動のない前に円滑に実施されるためには早期に調査のなされる必要があると当時は考えてこのような働きかけをしたもので、原判決の右認定はあたらない(被告人小野寺の第一〇回公判における供述)。
四 さらに、原判決は、「本件七億円の架空債務について作成した債務確認並びに弁済契約公正証書を所轄税務署に提出して本件犯行の発覚防止を画策した」旨認定している。
然しながら、右公正証書の作成並びに所轄税務署への提出については、被告人下境が谷川と共に東京国税局に赴き、東京国税局の山口直税部長と吉松資産税課長の指導に基づき作成されたもので、かつ、その指示に基づいて所轄税務署へ提出されたものである(被告人小野寺の第一〇回公判における供述、同下境の昭和六二年七月一五日付検面調書第一一項ないし一六項の供述記載)。そして、その結果、所轄税務署の指示で簡単な修正申告がなされるのである。被告人小野寺は、いずれも同下境からの国税当局の指示を受けたとの連絡に基づいて右の行為を行ったもので、当時の被告人小野寺の認識としては、右のように脱税当局の指示により本件の公正証書が作成され、その結果簡単な修正申告により本件が終結したことにより、福田炭鉱事件による税務処理についての被告人下境らの前記の説明は本当であると益々これを信用したのである(被告人小野寺の第一〇回法廷での供述)。
なお、谷川の検面調書での供述記載によれば、右の公正証書の作成は自分の指示に基づくもので、東京国税局の右の担当者の指示によるものではないこと、公正証書を作成される前に東京国税局に出向いたことはない旨供述しており(谷川の昭和六二年七月二〇日付検面調書)、右の吉松資産税課長の検面調書の供述記載でも、谷川と被告人下境が陳情に同国税局にきたのは、右の公正証書が作成されてから後であってその前にはきていない旨供述している。然しながら、これらの供述は措信できないのである。右の公正証書が作成されたのは、昭和五八年一二月一四日であること、作成された公正証書を谷川と被告人下境が二人で東京国税局に持参したのは同年同月二〇日であることは証拠上明らかである。そして、昭和五八年一二月一六日には、被告人下境は、谷川に約束していた金員のうち、金一、〇〇〇万円を支払い、さらに同月二七日には追加の金五〇〇万円を支払っている。このことも証拠上明らかである。問題は、右の公正証書の作成が東京国税局の右の担当者の指示で作成されたものかどうかの点である。右の公正証書が作成されるようになった経緯は、当時、ようやくにして、本件の相続税申告について所轄税務署の調査が開始されたが、その調査は当初の予想に反してきびしいもので、何かの手違いではないかと考えた被告人小野寺が同下境に相談し、同下境が谷川に対して、当初の谷川と国税庁長官との協議に基づき同長官の指示が所轄税務署になされているかどうかを確認にいき、その結果作成されたものである。被告人下境の検面調書での供述記載によれば、それまでの再三にわたる谷川からの要求に対して当初約束していた金員を支払うことを保留していた被告人下境が右の一二月一六日に谷川に対して金一、〇〇〇万円を支払う気持ちになったのは、税務当局の指示によって、右の公正証書を作成することにより、本件についての国税庁長官との協議による税金減額の措置が確実になり、これにより調査も終結することになると考えたからにほかならない(被告人下境の昭和六二年七月一五日付検面調書第一二項)。被告人下境としては、当時、調査が未だ終結していない段階で、かつ、それまで、再三にわたる谷川からの金員要求に対して、これを保留していたのに、単に谷川の指示による公正証書が作成された程度の段階で右金一、〇〇〇万円を谷川に支払うはずはないのである。谷川らの供述どおりであるとすれば、右金員の支払は、すくなくとも、一二月二〇日に公正証書をもって二人で国税当局に陳情にいった結果をみてから後になされることになるであろうことは経験則からみて明らかである。
よって、谷川らの右供述は措信できないのである。
五 なお、原判決の認定によれば、被告人小野寺は、最後に所轄税務署から本件の債務控除に係る修正申告を勧められて、同修正申告をなすべく決意していた被告人小宮に対し、これをやめさせた旨認定している。然しながら、被告人小野寺としても、事態がそこまで悪化しているとすれば、同修正申告をなすべきものと考え、そのためには本件は谷川が国税庁長官と協議した結果に基づいて申告がなされているので、その修正申告をなすには、谷川らの了解をとる必要があり、そのことを被告人下境を通じて確認したところ、同被告人を通じて谷川よりその必要はないとして止められたのである。
(一) 被告人小野寺は、昭和五九年一〇月頃、東村山税務署の荒木調査官とたまたま別件で会った際、同調査官より「小宮の相続税の件は未だ終わっていないので困っている。税務署が更生したら小野寺先生はむろん異議を申し立てるでしょうね」との趣旨のことをいわれた。被告人小野寺としては、その年の一月四日に修正申告の提出で済んだところで、この事案は既に処理済みと考えており、殊に、修正申告は全て荒木調査官からの指示に従っただけに、税務署はこんないいかげんな処理をするのかと訝しく思った。そこで、その頃、被告人下境にこのことを連絡して、どうなっているのかと尋ねたところ、同被告人は「谷川元局長が森末直税部長に確かめたところ、同部長は『小宮の件は前任者の山口直税部長の時に処理済みである』といっている」といって報告してきたので、被告人小宮にもその旨伝えた。
(二) 被告人は、その後も、森末直税部長の回答として聞いただけでは不安であるので、度々被告人下境に対して、この小宮の件は、本当に福田炭鉱事件による相殺という形で処理済みなんだねと念を押したが、その都度、被告人下境から「谷川を通じて直税部長に確認しているが処理済みであることに変りない」との繰返しの返事であった。
(三) ところが、昭和六〇年五月下旬頃、東村山税務署の長谷川特別調査官より、被告人小宮の叔父で東久留米市農業協同組合長である島崎鍋次が小宮に相続税の修正申告に応ずるよう勧められる事態となった。そこで、被告人小宮及び同小野寺は事態がそこまで悪化しているとすれば、早く修正申告をなすべきものと考え、被告人下境に対し「小宮さんは、修正申告することに決めたこと、これまで支払ったお礼は半分だけ返済してもらえばよいといっている』旨、しつこく、谷川元局長にその旨伝え確認するよう迫ったが、同被告人は相変わらず、「谷川氏が森末部長に確認した結果、査察事案になっていないから修正申告の必要はないということである。」と何度も繰返し、特に六月二〇日、査察の前日の午前中、被告人下境が日本舗道株式会社に谷川を訪ねたが、戻ってきた同被告人はパレスホテルで待機していた被告人小野寺と同小宮に対し、「谷川氏に会ってきた。谷川氏は、自分のいる前で三〇分も森末部長に電話で小宮の件の処理を確認したが、森末部長は相変わらずこの件は山口部長の時に処理済みになった問題だから事件になるはずはないといい、谷川氏が部長に『君責任持てるね』とまでいっていたから大丈夫です。また自分が、谷川氏に『万一査察を受けたらどうしますか』というと、谷川氏は『若し、万が一の場合には福田炭鉱事件で長官と差し違えればよい』といっていた」と結果報告し、修正申告する必要ない旨被告人小宮らに説得した。然し、その翌日から東京国税局査察部の強制調査を受けることとなり、被告人小宮及び同小野寺は修正申告の提出の機会を失った(以上、被告人小野寺の第一〇回公判での供述、同検面調書における供述記載)。
六 本件は、右にみたように、福田炭鉱事件がその基盤となっているところに大きな特色があり、国か福田炭鉱事件を未解決なまま放置し、それまで、これを利用した不明瞭な税務処理を許容してきたところに、遠因がある。従って、国にもその責任の一端があるのである。
本件の相続税申告から本件の起訴に至るまでに紆余曲折があり、長い時間が経過しているのは、本件に右のような背景があり、税務当局としては、未解決なまま放置してきた福田炭鉱事件の存在とこれを利用したそれまでの不明瞭な税務処理の実体が公表されることを恐れたことと本件に谷川が深くかかわってきたことにあるのである。本件の査察調査の過程において、被告人下境、同小野寺の供述調書やその上申告が国税当局を通じて谷川に渡されるなど国税当局は谷川とたえず緊密な連絡をとりながら、同人をかばいつづけてきたのは、ひとえに右のことがあったからにほかならない。このこともまた被告人らの量刑を判断するにあたって十分斟酌されるべきである。
七 以上、いずれの点からしても、被告人小野寺に対する原判決の刑の量定は著しく不当であり、執行猶予に処するのが相当である。
昭和六三年(う)第一二四九号
○ 控訴趣意書
被告人 下境恒治
右の者に対する相続税法違反被告事件について弁護人はつぎのとおり控訴理由をのべる。
昭和六三年一二月二一日
右弁護人 小林健二
東京高等裁判所第一刑事部 御中
記
控訴理由
原判決には、量刑不当の違法があるので破棄されるべきである。
一、原審は、福田炭鉱事件における下境被告人のたちば、および下境被告人の国に対する権利の存在について、ほとんど思いをいたさなかった。形式的に相続税法に抵触したことをとりあげ、通常の事案と判断して判決を宣告された。下境被告人としては、福田炭鉱事件について、あまりことをあらだてず、原審裁判官の絶大なご理解と温情に期待して、審理の促進・早期終結にむけて協力してきたつもりであった。しかし、判決は、下境被告人にとって、あまりにもきびしく、これでは、国にたいする同人の債権、および、その債権回収について、国税庁長官やその指揮監督下にある各担当官らの下境被告人に対する協力等の意味は、いったいなんであったかが、問題とならざるをえない。当審においては、このことを重点において、防禦したいのである。
二、既述のとおり、原審では、下境被告人は、福田炭鉱事件の経過および内容について、これを遠慮してあばくことをしなかった。そのため、この事件の重大性をとくに認識していただけなかったうらみがおおきい。そこで、本件控訴趣意書の末尾に、別紙として、「福田炭鉱不法公売処分事件の重要事実年表」を添付し、控訴趣意書と一体をなすものとしたので、この年表をどうか熟読くだされたく、伏してお願い申しあげるのである。この年表は、福田炭鉱の鉱主である福田敏夫の体験事実に焦点をあわせたものである。記載内容はすべて真実てあり、証拠もりっぱに存在する。
三、右年表による、下境被告人が福田炭鉱事件にかかわりあいをもつようになったのは、昭和三一年一二月一八日ごろからであった。福田赴夫代議士(ご存知のとおり、のちの総理大臣)の代理人としてであった。このころ、下境被告人は、もっぱら福田敏夫(以下「敏夫」という)側にたち、敏夫を代弁する形で、紛争処理にあたっていた。この間、この処理のために支出した下境被告人の経費は全部が下境被告人の負担であった(当審で明確にしたい)。また、昭和三三年五月前後ごろを中心に、何回か、坑道の被害の実態調査のために現地を訪ねたりした。そして、昭和三三年夏ごろからは、下境被告人は、国側にたち、国税庁の意向をうけて、敏夫との紛争解決にあたることになった。そして、このころ例の国税庁と敏夫との間に和解がなされた。この話し合いと和解調印は、北島武雄国税庁長官、敏夫、下境被告人の三者の間でおこなわれた。その和解事項は、原審でのべたとおりであるが、いま、あらためて列記すると、つぎのとおりである。
(一) 国税庁は、敏夫の事業再開についてできるかぎりの協力をする。
(二) 国税庁は敏夫の関係する事業、会社の税金関係について便宜をはかり、損害補償を相殺の形で弁償する。
(三) 本件は、国税庁長官の引継事項とする。
以上のとおりであった。
四、右の合意は、国によって、しばしば風化されそうになっていた。そこで、敏夫はたびたび国税庁等をおとずれたり、文書を発送するなどして警告し、国の責任を果たすように督促していた。下境被告人は、国の代理人の形で、敏夫を説得したり、ことばはわるいが懐柔したりして、万全の努力をした。その経過は、前掲の年表によってもうかがい知れることである。このために要した下境被告人の経費は、昭和三三年夏ごろから昭和五七年ごろまでの間に、金三〇〇〇万円前後に達していた。この経費は、下境被告人の国にたいする債権となっていたが、国は今日まで、積極的に解決しようとしなかった。この債権額は、現在の貨幣価値にひきなおすと、金一億円に達するのである(当審で明確にしたい)。
五、ちなみに、敏夫が国によってうけた損害は、
(一) 国にたいする立替金三〇〇万円
(二) 坑道の損害補償と遺失利益金五億円(ただし、この額は昭和三三年六月ごろ川口繁蔵鑑定人(もと三菱鉱業株式会社本社技術部長)の鑑定によるものである。ゆえに、この金額は、現在の貨幣価値によると、敏夫の主張するとおり金一〇〇億円に達するのである)
のふたつであった。
そして、右(一)の損害については、昭和三六年三月ごろ、国税庁から敏夫にたいし、金二五万円が支払われ、この立替金債権については、残金債権を放棄させた。しかし、(二)の坑道損害等については、いまだ、一円の弁済もなされていない。敏夫は、この債権についてはぜったいに放棄していない。
六、下境被告人においても国に対する前記債権を放棄したことはない。
七、敏夫は、国税庁が、この損害賠償を風化させることを極度にきらい、執拗なまでに歴代の長官にこの事件の重大さを認識させてきた。前記年表を熟読しておもうことは、高級官僚の責任のがれと風化の歴史をみるおもいである。日本人の体質にしみこんだ欠点が如実にさらけだされている。「前向きに検討する」だとか、「誠心誠意をもって努力する」だとか、「鋭意実現にむけて取組中である」とかのべるだけで、実体は、なにもしていない。こういうことは欧米人のもっともきらうところである。要するに民主主義が成熟できない一大特徴をしめす。なぜ端的に責任を果たさないのか、なぜ体面にばかりこだわるのか、と声を大にして申しあげたい。国民にとっては、「イエス」か「ノー」かでよいわけである。抽象的な言動は、卑怯であるとおもう。高級官僚の、このような言動と無責任さが、けっきょく本件各被告人の事件発生をまねいたのである。
八、敏夫に対する金五億円の坑道損害等の賠償と、下境被告人に対する前記立替金の弁済について、国税庁としては、けっきょく前記三項の(二)の相殺の方法によるよりほかはなかった。そこで、下境被告人は、敏夫以外の私人の納税の案件を何件か処理した(当審で明らかにする)。そして、これについては、もちろん歴代の国税庁長官の許可、および、谷川氏の関与をうけていた。そして、そこで便宜をうけた金員につき、敏夫は、右坑道損害等の補償金内入金名義でいくばくかの金員をとったし、谷川氏も謝礼金として受けとったものがある。また、下境被告人も多少の金員を、前記債権回収金の内金としてうけとった。しかし、なにしろ少額なので、とうてい、敏夫と下境被告人の前記債権は消滅しそうにもなかった。
九、原審は、下境被告人を「脱税請負人」ときめつけるのであるが、これは、納税問題になやむ私人と下境被告人との関係をのべるだけであり、国税庁をふくめた右裏面工作(国に対する債権回収の一方法)を忘れた議論である。このことにおもいをいたせば、とうてい下境被告人を目して「脱税請負人」というレッテルを貼ることができないのである。
一〇、このような流れをよくくみとると、本件小宮事件もよくご理解いただけるわけである。ただ、本件においては、原審において下境被告人および弁護人がしばしばのべたように、主要な動機が別個に存在したことである。それはいうまでもなく谷川氏のもつ金三〇〇〇万円の不良債権の現金化であり、これを谷川氏が執拗に下境被告人に要請したことである。この事情がおおきな動因となって本件に発展した。その結果、谷川氏は金三〇〇〇万円を取得した(この事実は当審であきらかにする)。けして、金一五〇〇万円のみではなかった。また、敏夫は金二〇〇〇万円を回収した。その名目は、廉価な、地方の山林についての敏夫と小野寺被告人との間の売買ということではあった。しかし、この山林は、けして金二〇〇〇万円の価値はない。あくまでも、坑道損害等の補償の一部ということがその実体である。下境被告人が本件によって債権回収した金額は、金四五〇〇万円を下まわってしまうものであり、けして原審のいうように金六〇〇〇万円をこえるものではなかった。
一一、しかも、重要なことは、これらの措置、ことに、敏夫と下境被告人の前記債権の回収については、歴代の国税庁長官の承認していたことであり、引継事項であったこと、何回ものべたとおりである。そして、本件小宮事件においても、昭和五七年八月当時の国税庁長官福田幸弘閣下の「承認」をとりつけている。同長官としては、「引継事項」であるから、やむをえず、「承認」しているわけである。この「承認」のとりつけは、谷川もと局長がおこなっている。なお、弁護人は原審において、この当時の国税庁長官について、水野長官と申しあげたが、「福田長官」のあやまりであったので、つつしんで訂正する。
一二、国家の私人に対する債務の解決方法には、いろいろな方法があってもよいはずである。納税上の優遇措置によるのもひとつの方法であるし、国有地を廉価に払下げる方法(敏夫のばあいにも前記年表によるとこの方法が検討されたことがある)によるのも、また被害者に大蔵省管轄の銀行の重要ポストをあたえるのもひとつの方法である。また、敏夫のばあいのように、「敏夫の関係する事業、会社の税金関係について便宜をはかり、損害補償を相殺の形で弁償する」というのもまたひとつの方法である。そして、この最後の方法は、下境被告人をふくめて、国税庁長官およびその関係者が何年もかけて考えに考えをめぐらしたすえにとられた方法である。そして、これは、文書化されている。文書化する以上「敏夫の関係する事業、会社の税金関係」というように、範囲を限定しておかなければならなかったが、じっさいの運用においては、敏夫の事業や会社の税金関係とは関係のない他の私人の税金関係についても、敏夫に関係あるものとして処理してさしつかえないという実情にあった。
一三、このような処理方法は、もちろん、敏夫と国税庁との間の極秘事項であって、とうてい外部の者に語れる話ではなかった。ゆえに国税当局の下部組織の公務員は、このような事情を知るよしもなく、まして、敏夫いがいの私人は、だれも知らなかった。この事実が公表されることになれば、国民の納税意欲がそがれる。つまり自分らの納める税金の一部が、公務員である新津税務署の署員のミスによって、敏夫への損害賠償金の一部に充当されてしまうという国民のいきどおりである。これが重大な問題である。国税当局の下部組織の公務員たちは、福田炭鉱事件の、このような怪奇性を知らなかったからこそ、弁護人が原審でのべたように、本件を内部告発できたのである。
一四、内部告発したからといって、国の敏夫や下境被告人にたいする債務の存在には、なんらの消長をきたさないのである。しかし、刑事事件としてとりあつかわれるとなれば、国税庁の総力をあげて、前記の「国税庁の引継事項」や「福田幸弘国税庁長官の承認」や谷川氏の行動等をひたかくしにしなければ、とても恥ずかしいことである。下境被告人や弁護人としても、そのことがあるので、おおいに遠慮し、原審の温情とご理解とを待ったわけであった。しかし、判決の結果は、下境被告人にとって極刑である。たとえ、刑期の面でしんしゃくされればよい、といわれてもなんの保証もないのである。要は、下境被告人としては、福田炭鉱事件の解決のためにおかれた同人のたちばをよく理解していただきたいのである。公判廷で、これを咀嚼いただきたいのである。そうすれば、かならずちがった結論に達するはずである。
一五、本件は、形式のうえでは相続税法に抵触するが、国家の債務の処理のしかたとして、こういう方法もあということになれば、実質的には違法の問題がおこらないという議論もなりたつ。本件では、小宮氏が「相続税をまぬかれる」ことは、国税庁によって許されていたのであるからである。そして、この方法によって、国ががんらい負担している敏夫および下境被告人に対する債務の一部が解消されればそれもまた、ひとつの事件解決である。つまり、国税庁も裁判所も、おなじ国の機関であって、国の機関のいろいろが、まちまちの意見をもたれては、困るのは敏夫と下境被告人である。つまり、国税庁長官が「よい」と承認してくださったのであるから、下境被告人の所為については、本件の構成要件該当性が阻却される。それが無理であるとしても、情状においておおいにしんしゃくされてしかるべきである。本件被告人らが、かさねて「本件は脱税事件ではない」とのべたてていたわけは、この辺の事情のことをいうわけである。このようにしなければ、ほかに債権回収の方法がなかったことも、とくとご配慮ねがいたいのである。
一六、敏夫をふくめて、下境被告人は、これまで国税庁にいいがかりをつけたこともなく、たかりを画策したこともない。要求は、すべて正当なものである。要求の手段として、敏夫はダイナマイトを国税庁長官室へもちこんだことはあったが(昭和三三年七月ごろ)、それ以外には、敏夫も下境被告人も、暴力団員と結託するとか、その他の強圧的手段をもちいたこともない。
それに、谷川氏のばあいは別論としても、前記三項の(二)の方法による解決方につき、歴代の長官に賄賂が渡されたなどという事実もまったくない。
このようななかで、前記解決方法が何回かとられてきていたわけである。ゆえに、その何回かの方法がすべて相続税法や所得税法違反であるとされるならば、敏夫や下境被告人の、国に対する債権の解決はどのようにしたらよいのであろうか。国税庁は、予算の名目がたたないのである。ゆえに、本件は国家総体のことと考えて、下境被告人の所為につき、温情をさしむけていただきたいのである。
一七、本件は、このようにして福田炭鉱事件と密接なかかわりあいがある。そのために、その解決の一案として、小宮氏の相続問題が利用されたわけである。国税庁長官としては、谷川氏が金三〇〇〇万円も取得していたとは知らなかったとしても、小宮氏の相続問題に直接に法律的に関係のない敏夫が、金員(金二〇〇〇万円)を取得することは容認していたし、まして、下境被告人もこれを取得することを容認していた。このようであるから、福田長官は、その監督指揮下にある山口直税部長や吉松資産税課長らに「指示」をあたえ、下境被告人と小宮氏との間の債務確認および弁済協定の公正証書の作成をいそぐよううながしていた。なお、谷川氏は、右債務確認および弁済協定の公正証書中の債務金額が架空のものであることを充分に知っていた。
一八、ゆえに、下境被告人は、けして原審のいうように、国税庁幹部らの顔見知りを利用したとか、国のミスも落度を利用して法無視の行為をしたとか、現職の税理士をことばたくみに巻きこみ謝礼金かせぎの行動をした、というようなことは、断じてしたことはなかったのであった。すべて国税庁の指示にもとづき、おこなった。所轄税務署への前記公正証書のコピー提出も、その指示によっている。全部、国税庁ぐるみの諒解のもとであった。
谷川氏は、下境被告人にたいし、かねがね「所轄税務署のおどかしに屈することは、国税庁幹部に恥をかかせることになるから、けして税務署の話に耳をかしてはいけない。あなたは、国税庁に福田炭鉱事件の貸しがあり、その一部の恩がえしか、決済ともいうか、そういう意味のものである。だから長官の指示したことであるから国税庁として査察・告発などできるものではない。国税庁が約束をやぶれば、福田炭鉱事件の債権で相殺すればよいのです」とのべていた。
一九 小宮氏の修正申告について、原審は、下境被告人が小宮氏をして断念させたとして、下境被告人に非常に不利な情状にかぞえている。しかし、これはまったく事実とことなる。下境被告人は、前項記載の谷川氏の言を他の被告人らに何度もつたえた。そして、協議のすえ「谷川氏の言にしたがうほうがよい。かれのいうことを信用するほうが得策である」として修正申告をしなかったのにすぎない。ゆえに、その小宮氏の断念は、谷川氏の指示によったことになるわけであり、けして、下境被告人の指示があったのではなかった。
二〇、以上、みてきたとおり、本件のような所為は、けして下境被告人の単独でなしうるものではなく、まして、小野寺、関両被告人のような税務の専門職が介在したとしてもとうてい仕遂げられるものではない。国税庁上層部の指示がなければ、あるいは、その協力がなければ、とうてい仕遂げられるものではないのである。何度ものべるように、国税庁上層部としては、本件が仕遂げられることにより、国の敏夫および下境被告人に対する債務のいくばくかが、これによって解消されるならば、さしひき、国の損失はないわけであるから、承知のうえであった。ゆえに、本件被告人らにたいする谷川氏を経由しての「指示」は、むしろ前向きにおこなわれた。小野寺・関両被告人は、その指示にもとづき、専門的手続をおこなったにすぎなかった。したがって本件被告人らが、本件につき「謀議した」ときめつけられると、被告人らには、相当な抵抗を禁じえないのである。
二一、なお、弁護人が原審において、その弁論要旨にもとづきのべた「情状論」を、最後に援用するものである。
以上
別紙
福田炭鉱不法公売処分事件の重要事実年表(敬称省略)
(自昭和二四年至昭和六〇年)
<省略>
○ 控訴趣意書
相続税法違反 関禮治
右被告人に対する、頭書被告事件についての控訴の趣意は左記の通りである。
昭和六三年一二月一九日
弁護人 石井元
同 牧義之
同 金子正志
東京高等裁判所 第一刑事部 御中
記
原判決は、検察官が被告人及び小宮丈明(以下小宮)について、その余の被告人との間で量刑の格差をつけ、小宮に対する罰金の併加刑は別として、各懲役二年の同一求刑をしたのに対し、小宮については、懲役二年三年間執行猶予の判決言渡をし、被告人に対しては右求刑を減刑するに止め、懲役一年二月の実刑判決の言渡をもって処断し、その情状に関する個別的量刑理由を示しているが、被告人の実刑判決は、左記の小宮との情状対比、谷川宏元東京国税局長(以下谷川元局長)の介在関与とその責任、被告人の特段事由等を彼比、勘案すれば、些かも重く且つ酷に失する嫌いがあるので、被告人に対しても、一度は執行猶予の恩典に浴させ、自律更生の道を与えるのが、相当であると思料する。
第一、小宮との相対的情状の対比について
一、原判決は「被告人関が、長年税理士として稼動し、関東信越税理士会埼玉県支部連合会の副会長、関東信越税理士会専務理事等の役職を歴任していながら、本件犯行に及び税理士制度に対する社会的信用を著しく失墜させたこと、又犯行の動機も不正な高額報酬の取得をもくろむとともに、国税当局の高官等との交流による人脈の形成を図り、関東信越税理士会会長等の要職に就く布石をしようと考えていた」(原判決一八丁表)ことを被告人に対する不利な情状の第一として言及し、酌量の余地はない旨評価しているが、確かに右指摘は被告人にとって何とも弁解の余地がないし、被告人自身率直に認め、十分自戒しているところである。被告人が本件犯行に関与した責任が重いことを決して回避するわけではないが、脱税事犯の構成からいえば、本犯は申告者の小宮であり、その脱税利得も直接小宮に帰属することからいえば、小宮が最も重要な立場にあった。被告人は法律上共同正犯の責任があるとしても、実質的には幇助的行為に終始しているのである。そこで原判決もこの点につき「納税の当事者として脱税による直接の利益を受けるのは被告人小宮であり、同被告人の承諾なくしては本件は成立しなかったことを考えると、被告人小宮の刑責は重いというべきである」(原判決九丁表裏)旨認定し小宮に対する刑責を強く求めているのである。被告人と小宮の右情状の両面を内容からいえば、必ずしも同一評価の対象とするのは変則的であるが、その二つが先ず不利な情状として夫々あげられている点においては、同じレベルで対比評価することも実質的に十分意味がある。畢境被告人は、社会的立場を強く非難され、小宮は納税者の主体的な責任を大きく問われているのであって、被告人と小宮の責任の重大性を右両面から見る限り、その軽重を直ちに決め難く、両々同じ位と量定されるのではなかろうか。
二、次に原判決は「本件犯行が共同被告小野寺、同下境及び同関の主導で行われた」(原判決九丁表)旨判示した上、しかも被告人は「被告人小野寺及び同下境と共に架空債務を計上した内容虚偽の相続税申告書を所轄税務署長宛に提示するという本件脱税についての謀議に加わり、被告人小宮からの架空債務弁済の形式をとって脱税報酬を取得することにするなどと提案し、又被告人小野寺作成の架空金銭消費貸借契約書の文案を補正し、同契約書の真実性を装うための古い収入印紙を入手するなどしたほか、本件相続税申告書提出後においても被告人小野寺を通じ国税関係者に税務調査の促進を働きかけるなど本件犯行の前後を通じて重要な役割を果たしていた」(原判決一八丁裏)とし、又(昭和五七年八月五日のパレスホテルの被告人関、同小野寺、同下境による謀議においては、架空計上する債務額や所謂脱税報酬額についての具体的数値まで検討されたことが認められ・・・・・・仮に被告人関の弁解(被告人関としては本件犯行は架空債務を計上するとの方法によることや報酬を被告人下境、同小野寺、同関が四対三対三の割合にすることのみに関与しただけである)するとおりであったとしても・・・・・・架空債務の計上という基本的事項を提案するなどしていた点で重要な役割を果たしていた」(原判決一九丁裏二〇丁表)旨認定評価し、実行正犯者である小宮に比して被告人の関与を強調し、その責任を重視している。しかし、本件脱税方法が、たとえ被告人や小野寺、下境らにおいて右認定のように協議されたとしても、左記事実に徴すれば、直ちに被告人らが主導で小宮が受導であったとはいえないのである。
(一)小宮の犯意形成
被告人と小野寺、下境らにおいて相続税に関する脱税話が持上がり、小野寺から小宮にこのことが伝えられ、脱税工作が順次進められてはいるが、小宮はすでに、その前から小野寺に脱税の相談をもちかけていたし、小野寺からの話が一つのきっかけになったとはいえ、決してあらたに誘発されて脱税の犯意を形成したものではない。原判決もこの点にふれ「被告人小宮は、被告人小野寺に対して相続税を安く抑える方法はないかと相談を持ちかけ、脱税工作を依頼したもので、被告人小宮の同小野寺に対する右相続の持ちかけが本件犯行の端緒の一つとなった」(原判決八丁裏乃至九丁表)旨認めているのである。これは、むしろ小宮の受動性を否定し、小宮の基本的方針があったことの重要性を認定し、小宮は、被告人や小野寺、下境らの立場と殊更に変わらないことを肯定しているものと思われる。
(二)被告人と小宮の本件重要事項に関する関与についての情状比較
1架空債務額の確定及びその経過
被告人及び小野寺、下境の各検察官調書によれば、本件の架空債務額七億円は、被告人が昭和五七年八月五日のパレスホテルの右三者会談で提案し、その結果報酬額も減額された課税分の三割に相当する一億二五〇〇万円に決定されたようにかためられ、いかにも被告人が、本件で重要な意味をもつ架空債務計上の方法及び架空債務額の提案者であった如くきめつけられている。ところが、原判決はこの点につき「パレスホテルにおける被告人関、同小野寺、同下境による謀議においては架空計上する債務額やいわゆる脱税報酬額についての具体的数値まで検討されていたことが認められ・・・・・・仮に被告人関の弁解するとおりであったとしても、関東信越税理士会の要職にある被告人関が本件犯行に加わることが、被告人小野寺や被告人小宮をして本件犯行を決意させる要因の一つとなっていることは否定できないところであり、しかも被告人関自ら本件犯行の手段である架空債務の計上という基本的事項を提案するなどしていた点で重要な役割を果たしていた」(原判決一九丁裏乃至二〇丁表)旨判示し、検察官調書の内容とややニュアンスを異にして、架空債務額七億円を被告人が提案したとまで認めていないが、それでも三者間で架空債務額やいわゆる脱税報酬額についての具体的数値まで検討されたように認定している。
脱税事案においては、脱税額の大小がそのまま刑責評価に重大な影響をもち、小さければ査察にまで至らないで処理されるのが現状であるだけに、脱税額の決定経過及び関与が極めて重要であるところから、弁護人は、この三者会談における被告人の言動を重視し、決して検察官調書に示されているような事実でなかったことを強く主張立証し、真相を究明してきたのである。
原判決が、右のように「仮に・・・・・・」という仮定的な認定までしたということは、弁護人の主張を本筋において認容したと受け取らざるを得ないし、脱税の手段としての架空債務計上方法及び架空債務額の決定に関する経過を明らかにすることが、小宮と被告人との量刑較量にも反映するのである。
(1)小宮の関与及び影響
架空債務額の七億円の計上は、八月五日の三者会談で持ち上がった数値ではない。被告人は、この点につき、公判廷で「課税価格が約二一億円で、それによって計算された相続税額が約一一億円くらいであると、それを何とか一つ財産を売らないで納税出来るようにまけてもらうことが出来ないだろうか……小野寺先生のほうから半分くらい、約六億円くらい一つ何とかならないだろうか、というような納税者からの依頼があるというお話を聞いたように覚えている」(被告人の昭和六三年四月二一日公判供述五七一丁)「当時の重要なことをメモを取った記録がございますが、その中にもその金額に該当する七億円とか、そういう金額は出てこないということと、もう一つは当日(八月五日)はあくまでもお願い、打診といいますか、そういうことのお話でございまして、何の準備もなく臨席をしておる、皆さん、誰もがそうだと思うんですが、そういう状態であったということ、しかも内容につきましては、相続税事案では少なくとも法定相続人が何人いるのか、あるいは分割協議がどうなっているのか、それからそういう話は資産があっても農地がどのくらいあるのか、全然私共には、知るべき立場におられた小野寺さんからお話がないわけでございますので、そういう状態では到底、具体的なことをお話する状態ではなかった」(被告人の昭和六三年四月二一日公判供述五七六丁)旨供述し、法定相続人とか、農地についての優遇措置、資産の具体的な内容等税額決定に不可欠な要素が何一つ判らない条件下で、いきなり債務控除額を七億円に決めるというようなことは、出来ないことを具体的に説明すると同時に、小宮から小野寺に対し既に課税額の半分約六億円位を脱税して貰いたい旨の内示をしていることを明らかにしているのである。尤も、小宮は小野寺に対し、課税額の半分位を脱税して貰いたい旨依頼したことまでを判然と供述してはいないが、小宮に対し修正申告をするように諌言した小宮の叔父島崎鍋次は、その際小宮から言われた内容につき、検察官に対し、「小野寺税理士や下境が国税庁や東京国税局に出向いて交渉しているので、債務は架空だが、相続税は半分位になるんです。」(昭和六二年六月一日付検面調書五丁裏)旨供述しているし、又、小宮は公判廷において「小野寺は七月に入って、ちょくちょく顔を現すようになりました。・・・・・・二回か三回うかがったときに、どうするんですかということを小野寺先生に質問したら、あなたの家の場合は、お父さんの借金があったことにして、税額を安くするという話だったと思います。その当時は、借金の数字(質問部分)は確か三億円と記憶しております。」(昭和六二年一一月五日公判供述二六丁乃至二八丁)「債務控除として、負債を七億にすることは(質問部分)八月一一日だったと記憶しております。」(同日公判供述三〇丁)旨夫々供述し、問題の八月五日以前の段階で、すでに小野寺との間で、架空債務に関する方法及びその額を三億円にするような二者間の協議をしていたことを認めている。従って、小宮と小野寺間においては、大分前から脱税方法及び架空債務額の下話が出ていたことが明らかであるし、特に島崎鍋次の右「半分位」という供述部分は、小宮、小野寺間の協議が反映していたようにも思われるのである。又、小野寺は小宮からの内示があったことについて、検察官に対し「関税理士には相続税をできるだけ安くしてくれという小宮さんの意向を伝えております。この時関さんに小宮さんの税金をどのくらい安くしてくれと言ったかどうかは、はっきり覚えていないのですが、あるいは税金の半分位にできないかと言っているかもしれません」(昭和六二年七月一二日付検面調書三八丁)旨供述している。小野寺とて勝手に半分位という意向を持ち出す筈もないし、小宮、小野寺間の右協議の経過に徴するならば、恐らく、小宮から小野寺に税金の半分位という意向が伝えられていたので右供述になったものと推認されるのである。従って、本件脱税については、小宮の基本的意向に沿い、小宮と小野寺との間で脱税の手段が協議されて、一応の方針が決まり、最終的に架空債務額七億円が計上されたものであり、脱税手段及び脱税額決定の支配的立場にあったのは、小宮であるし、この点では誰よりも小宮に大きな責任があったといっても過言ではない。
(2)八月五日の会議と小宮の関係
被告人及び下境は小宮と直接接触はなく、小野寺が顧問先ということですべて小宮との調整をしていたので、被告人は、小野寺を介して小宮の意向を知るしかなかった。原判決は、八月五日の三者会議において、仮定的認定をおきながらも、一応架空計上する債務額やいわゆる脱税報酬額についての具体的数値まで、検討されたことが認められると認定しているが、これは些さか納得し得ないのである。架空債務額七億円の数値がだされる筈がない理由は、前記の通りであり、又脱税報酬額一億二五〇〇万円に決まったとされる点についても、全く荒唐無稽な話である。
被告人は、この点についても、一つのメモ(被告人の昭和六二年七月一一日付検面調書添付資料四枚目)の内容に基づき、八月五日は、報酬の割合を四・三・三の割合に決めたに止まること、又別のメモ(同調書添付資料五枚目)からも、昭和五七年八月二四日に一億二五〇〇万円の報酬額が決定されたことを、具体的に公判廷で明らかにしているのである。(昭和六三年四月二一日付公判供述、五七九丁乃至五八一丁)八月五日の段階ではどんなことをしても課税の減額分を算定し得る状況ではなかったし、たとえ報酬額を課税減額分の三割にきめたとしても、そのもとになる減額の数値を決定し得ない以上、具体的な報酬額の数値は出せないことから、一億二五〇〇万円の数値が出る筈がないのである。ところが、被告人及び小野寺、下境の各検面調書に、一億二五〇〇万円という半端のつく数値が一様に示されているが、調書の内容からみても、このような数値が算出される合理的理由は全く示されていないし、どのように理解してよいのか苦しむところである。この数値は、被告人の関与を密接にし、責任を強く求める余り、後日決まった数値を遡及確定させた見込捜査の誤りとしかいいようがないのである。そこで原判決も、右のような認定になったものと思われる。
八月五日の会談で、被告人が確かに脱税の方法として架空債務を計上することや、報酬額を課税減額分の三割ではどうかという意向を示し、三者がそれを四・三・三の割合で分配することを話合ったことは明らかであるが、この会談はもともと三人が意見交換するという内容のものであり、偶々被告人が、右のようにある部分で意向を示したところがあったとしても、直ちに被告人が主導的な立場であったとみるのは早計である。その時にはすでに、前記の如く小宮と小野寺間にて、脱税方法やその債務額まで下話され、一定の方針が決められていたことでもあったし、その事情を知らない被告人が、偶々右のような話を持ち出したとしても、小宮、小野寺間で決められていた方針に沿う内容に過ぎず、新たに内容を変更するとか或いは付加するものではなかったのである。
又、このことは、脱税工作を前提とする限り、誰でも考えつく極く当り前のことであり、特別な発想、或いは特殊な専門的知識を必要とすることでもない。更に利益配分についてもいきがかり上、当然にでてくる問題で、三者が何れも考えていたことを、被告人が偶々言ったというだけのことであり、これ又特に責任が加重される理由には当たらない。ところが原判決は、八月五日の会談における被告人の言動を、刑責酌量の上で、重視されているようにも受け取れるが、その実体は以上の通りであり、小宮が小野寺と話合った脱税の基本方針に沿って、おおまかな内部的話合をしたというに過ぎないのである。小宮は、八月五日の会談には出席してはいないが、すでに小野寺とは、前記の如く脱税方針と脱税額の協議を或る程度していたし、同会談そのものが、小宮の基本的意向抜きでは成り立ち得ないものであり、実際その会談後の八月一一日、小野寺と小宮間で最終的脱税額が決定され、しかも小宮において、作成済の遺産分割協議書まで改竄し、直接脱税工作に及んでいるのである。
右、一連の事実をもって、被告人と小宮の情状を対比するならば、何れの刑責が重いとも、にわかに断じ難いといわざるを得ない。
2本件脱税申告後における関与の態様
被告人は、脱税申告までの間は、小野寺、下境と接触をもち、直接或いは間接に同申告に関与してきたが、申告後は、税務調査に関する助言をした程度であって、途中からは小野寺、下境に全く疎外されてしまったのである。
本件申告書提出後、谷川元局長からの示唆指導に基づき、小宮が架空債務の裏付として内容虚偽の公正証書を作成した工作にも、被告人はつんぼ桟敷におかれ、小宮、小野寺、下境らの協議によってこれが実行され、又小宮自身、国税当局の係官や叔父から強く修正申告をするように説得されながら、これ又同様被告人には知らされないまま、小野寺と相談してこれに応じない態度をとった結果、遂には、検挙立件されるという最悪の事態を招くに至ったのである。いずれも申告後の問題ではあるが、脱税工作にかかわった被告人にとっては、修正申告によって本件が立件されることを、未然に防ぐ絶好の機会であっただけに、極めて重大な問題であった。国税当局から特別に修正申告の勧奨まであったことが、若し被告人に知らされておれば、被告人においてこれに対応し、清算の措置がとられたことを思えば、かえすがえすも残念なことであり、申告後の右事実は、小宮において、自らが検挙立件される責任を作ったという他ない。又被告人は、小野寺及び下境から脱税報酬額の対応についても、同様な仕打ちを受けており、申告後についていえば、被告人は、他の工作関係者から完全に無視され、疎外されていた状況であった。
(三)社会的制裁及び贖罪の状況についての対比
原判決は、小宮の有利又は同情すべき情状として「(一)本件架空債務の弁済を装って被告人下境の口座に送金した一億五五〇〇万円のうち、一億二四〇〇万円については返還されておらず、自ら招いた結果とはいえ、いわゆる脱税報酬として右同額の被害を被っており、被告人小宮としては同下境、同小野寺(殊更に被告人関は除外されている)らの謝礼金稼ぎに利用された面もなくはないこと、(二)本件発覚に及んで所轄税務署に修正申告をし、相続税本税、付帯税合計七億二〇〇〇万円を納付して反省の態度を示していること、(三)妻や親族一同が、被告人小宮を厳しく指導監督していくことを誓い、山口、吉田の両税理士が被告人小宮関係の税務会計を指導し、再び過ちを犯さないよう監督していくことを誓っていること、(四)贖罪の意図のもとに日本赤十字社など三ケ所に合計二億円の寄付をしたこと、(五)二つの会社の代表者として今日まで真面目に稼動し、これまで前科や犯歴がないこと」(原判決一一丁表裏)の事実を取り上げ、又被告人についても同様「(一)被告人下境のいう脱税報酬や谷川元局長らを通じて得られるいわゆる人脈形成の話を軽信して本件に及んだもので、被告人関においても被告人下境に利用されたとの面がないではないこと、(二)本件架空債務が存在するごとく装うためになされた公正証書の作成などには直接関与していないこと、(三)脱税報酬も、被告人関にはその支払状況について具体的な説明がなされないまま被告人下境、被告人小野寺により個人的用途等に費消されてしまい、結局その分配にあずかるに至らなかったこと、(四)身柄を拘束されてからは犯行を認め事実を積極的に供述して捜査に協力したこと、(五)本件が発覚することにより、順調に進んでいた税理士業務をはじめ関東信越税理士副会長、日本税理士会連合会常務理事等の公職を自ら辞し、長年にわたって気付い築いてきた実績や信用を一度に失うなど、本件で支払った代償は極めて大きく相当の社会的制裁を受けたこと、(六)本件の重大性を悟り、自己の非を反省して謹慎生活を続けていること、(七)これまで前科や犯歴は全くないこと、(八)関が服役することにより、その家族に大きな支障が生ずること」(原判決二〇表乃至二一丁表)等の事実を夫々認定している。そこで、被告人と小宮との右有利及び同情すべき情状を対比すれば
(1)いずれも下境に利用されたところがあること。
(2)被告人は、脱税報酬の分配にあずからず、一切の利得もない。
小宮は却って多額の納税をするに至っていること。
(3)双方改悛の情顕著で、小宮は合計二億円の贖罪寄付をしているが、被告人は税理士業務をはじめ一切の公職を辞し、多額の金銭にもかえ難い贖罪に及んでいること。
(4)小宮は、適切な指導監督を受け、会社業務に専念することができるが、被告人は、高年令の点や業務の性質上、将来復職することも杜絶され、生活の基盤を根底から失い、家族全員が大きな社会的制裁を受けていること。
等の諸事実が認められ、資産家の小宮は、金銭的打撃を受けたというものの、生計の立直しも可能であり、贖罪寄付をするだけの財政的余裕さえ認められるのに比し、被告人は、全く利得をうけていないばかりか、社会的信用、名誉及び公職一切から経済的基盤全てをなくし、失うものが余りにも大き過ぎた。
被告人の軽率な行為は、まさに「九仞の巧を一簀に欠いた」というもので、慙愧の極みである。
以上の如く、被告人と小宮の関係で、情状に関する有利不利に亘る重要な部分につき比較検討した結果、両者の間に実刑と執行猶予に分ける程、裁然とした評価の違いがあるとも認められないし、検察官も同じように判断して、小野寺、下境と区別し、いずれにも懲役二年の同一求刑をしたものと思われる。
第一、谷川元局長の介在関与とその責任
一、原判決は、谷川元局長が下境に対し、「(一)将来問題があれば、国税局の直税部長に陳情に行ってあげる旨、約束したこと。(二)七億円の債権について可能であれば、公正証書を作成したらどうかなどと助言したこと。(三)税務調査開始後の昭和五八年一二月二〇日には被告人下境が七億円の債権の存在を前提として、本件申告が正当である旨説明すべく、東京国税局直税部に赴いた際これに同行していること。(四)被告人下境から二度に亘り合計一五〇〇万円を受領していること。」(原判決七丁裏)等の本件脱税行為にかかわる重要な事実を認定しながら、その責任については、「元東京国税局長の行動は税法理念を無視した常識を欠く極めて軽率な行動として社会的に強く非難されなければならない」(同判決七丁裏乃至八丁表)という程度の認め方をするに止まり、「同人(谷川元局長)の責任を他の被告人らと同じレベルで論じることはできないし、同人を共犯者に準ずる者と見た形で被告人らの刑責が著しく軽減されることにはならない。」(同判決八丁表)旨判示し、谷川元局長を立件起訴しなかった検察官の判断を是認すると同時に、谷川元局長の右一連に及ぶ介在関与は、被告人らの刑責に強い影響はない旨言及しているのである。
しかしながら、本件脱税行為は、もとはといえば、谷川元局長の不良貸付金の穴埋が発端である。被告人らは、同元局長の立場や国税当局に対する影響力に眩惑支配され、順次エスカレートしたものであり、同元局長の介在関与がなければ、絶対起こり得なかった事案だけに、原判決の、同元局長に対する刑責認定については、些さか承服し得ないところがあるばかりか、被告人に対する実刑判決は、同元局長に対する取扱との関係で、量刑上著しく均衡を失している嫌があり看過し得ない。
二、原判決は、小宮の相続税申告に際し、下境が、小宮に七億円の債権を有している旨、谷川に対して説明したことについて「(谷川元局長は)七億円の債権は、水増しされたものではないかとの疑問を抱いた。」(原判決七丁表)旨判示し、谷川元局長が共犯の認識をもっていたことを、積極的に窺わせるような認定をしておきながら、反面「被告人下境の説明するような形で(債権が)存続することもありうるとの考えのもとでの行動とみても、証拠上あながち不自然ではない。」(原判決八丁表)とか、「(谷川元局長が)事前に虚偽過少申告することを承諾していたとは断定できない。」(原判決八丁表)というような消極的認定を下している。しかしながら、右認定は、谷川元局長の供述の中から、同局長に対し、有利且つ都合のいいようなとらえ方をしたに過ぎず、その真相は谷川元局長の刑責認定を殊更に避けて評価したとしかいいようがないのである。
谷川元局長は、昭和六二年七月一七日付検面調書において「契約書を見たら元利七億円というのは、余りにも大きな金額であり、もし本当の債権であるのなら、下境がわざわざ私(谷川元局長)のところに陳情に来る必要はないだろうし、又、福田炭鉱事件の話を持ち出す必要もないと思ったので、金額の小さな債権を水増しして元利合計七億円という金額に偽って債務控除しようとしているのではないだろうかという気がしたのです。・・・・・・これだけ高額の貸付金を一度にしたわけではなく、何回かに分けてしたのだろうから、個々の貸付契約書を出すようにと言ったところ、下境は自分の住所が変わったときに契約書を一本にまとめたので、個々の契約書は小宮側に返してしまってもうないと言っておりましたので、益々、この債権は、実際の金額より相当過大な金額に作り増えたものではないかという疑を強めたのです。しかし下境はこの貸付金をどうやってあつめたのか、小宮の父親が何の目的にこの大金を使ったのかについて、色々説明してくれましたので、私は下境の言う七億円の債権についての私の疑を間違いないと確信するまでには至らなかったので、疑の気持ちを持ちながらも、下境の陳情の依頼を聞いてあげることにしたのです。」(同検面調書二一丁乃至二三丁)旨供述し、脱税の認識について中途半端な表現をしている。ところが、原判決は右検面調書における内容の評価につき、前記の如き認定をし、同調書前段の脱税の疑をもった部分を殊更に避けて、後段における下境の説明するような形で存在することもあり得るという部分を安易に採用しているように思われる。
しかし、谷川元局長の右供述は、身柄の拘束を受けない在宅のままの取調に応ずるもので、極めて任意性も高く、内容の前後に亘り、ややぎこちない不分明な表現があるとしても、一応脱税工作の疑をもったことまで容認しているし、その大筋においては、原判決の趣旨に沿うようなものとはとても認め難い。むしろ、その真意は下境の説明によって少なくとも架空債務七億円については、水増しの脱税工作があったことを暗に認め、虚偽の過少申告をすることに関与したことを肯定しているとみるのが相当である。
又、右供述をこのように認定することが極めて常識且つ妥当であることを補強する積極的事実として
(一)架空債務七億円は、貸付元金三億五〇〇〇万円と同額の金利計算をもって構成され、下境の説明からでは、常識的に納得できるものでなく、極めて異常であったこと。
(二)下境は、谷川元局長に対しこれまで、脱税行為をしていると疑われるような税務工作を屡々依頼し、同元局長もこれに応じていた。しかも本件では、同元局長が下境に対し不渡り処分を受け、全く決済の見込みのない手形金の穴埋を相談したことが、端緒になっている関係からみても、本件では両者がただならぬ密接な間柄になっていたこと。
(三)谷川元局長は、下境の家庭環境及び資産状況をある程度承知していたものと思われるし、又豊富な税務行政の経験や知識に徴しても、下境の説明をうのみにするとは考えられないし、高額な貸付金発生及び理由をまともに信用したとは到底認められないこと。
(四)谷川元局長は、下境に対し脱税申告前、すでに国税当局に対する工作を約束した上、架空債務の金額及び脱税額についての承認まで与え、申告後においても、東京国税局直税部長に対し、陳情したり、或いは国税庁長官に税務調査が簡単に終了するような働きかけをしたに止まらず、架空債務の裏付として内容虚偽の公正証書を作成することにも相談にのり、脱税申告の前後を通じて、終始関与していること
(五)谷川元局長は、不渡手形金の見返りとして、下境から一五〇〇万円を受取った旨弁疏しているが、倒産会社の無価値な手形によって反対給付が受けられる筈はないので、この弁解は到底措信し得ないし、右金額が本件の脱税指南の報酬であることを十分承知の上、利得に及んでいると認めるのが相当であること
等一連の事実が明らかであって、谷川元局長の右検面調書の内容を、鮮明に浮きぼりにしている謂わざるを得ないのである。
谷川元局長が、実際に脱税工作に介在関与したことが、本件を誘発した一番大きな原因であるだけに、これだけの事実及び証拠がある以上、原判決の認定事実にはどうしても承服できないのである。
谷川元局長が起訴の手続を受けていないとしても、その刑責を肯定する認定をすることができる以上、不問に付されている同元局長の立場と、被告人の刑責との関係をみる限り、刑の均衡を著しく阻害していると謂わざるを得ないのである。
三、弁護人は、谷川元局長の検面調書の内容が、被告人らの供述調書に比し、犯意、行為いずれも曖昧のままかたずけられ、極めて不自然な形になっていたところから、原審において、同元局長の検面調書を不同意にした上、同元局長を証人として尋問し、真相の究明を図ろうとしていたのである。
ところが、検察官から同元局長が肺癌に罹患して入院中であり、今後数ヶ月の余命で、証人尋問ができない程、重篤な病状にある旨の報告に接したところから、止むなく、証人尋問を断念せざるを得なかった。
しかしながら、原審判決後、病状重篤である筈の谷川元局長が勤務先に通勤し、しかも走れる程健康を回復している写真付きの報道(昭和六三年一〇月二一号フライデー六六乃至六七頁)がなされ、弁護人も愕然としたのである。
谷川元局長が本件に介在関与し、右の如き重大なる役割を果たした上、一五〇〇万円の報酬まで利得しているとすれば、谷川元局長こそ本件の凶悪といっても過言ではない。しかもその元局長が立件されないのみならず、原判決において、前記の如く「谷川元局長の責任を被告人らと同じレベルで論ずることはできないし、同人を共犯者に準ずる者と見た形で被告人らの刑責が著しく軽減されるということにはならない。」旨の判断を受けたことは、実刑に処せられた被告人の刑責は谷川元局長にくらべ、正義に反し納得できないのである。
弁護人は検察官が、谷川元局長について誤った診断書を提出したとまでは考えていないが、谷川元局長の証人尋問が可能であれば、控訴審において、これを行い、是非真相の究明をして、原判決の事実認定及び量刑の判断が誤りであることを明らかにする予定である。
第三、被告人の特段事由について
一、被告人の本件犯行における動機について
(一)原判決は、被告人の本件犯行の動機につき「結局不正な高額報酬の取得をもくろむとともに、国税当局の高官等の交流による人脈の形成を図り、関東信越税理士会会長等の要職に就く道の布石にしようなどと考え、本件に加担したものであって、酌量の余地はない」(原判決一八丁表)と断言しているが、原判決の右見解は、被告人の動機を一面的にしか理解していない偏頗なものである。
(二)被告人は、昭和三五年税理士登録以来、不断の努力により、一歩一歩着実に税理士としての地歩を固めてきたとともに、税理士会の会務にも奉仕して、漸次会員から信望を得て、税理士会埼玉県支部連合会副会長、関東信越税理士会専務理事の要職に就くに至った。
(三)税理士会の運営は、税理士法上の指導監督官庁である国税庁並びに国税局の厳しい指導監督下に置かれているだけに、会務運営には普段から監督官庁と密接なつながりを必要とすることから、有力な国税当局OBとの交流が得られることは、税理士会運営全般に関して極めて有益であった。
(四)被告人は、税理士会の要職を歴任しており、絶対確実な保証なくして、利益追求目的だけで、自分の職業生命と永年に亘り築き上げてきた社会的地位を賭けてまで、本件のような法律違反行為を犯すことなど絶対考えられないことである。
(五)下境から偶々「福田炭鉱事件」以来、昵懇の間柄である谷川元局長の経済的苦境の救援を頼まれると同時に、同元局長との交際の道をつけることを約束され、更に「大蔵省OB中でもエリートである谷川元局長の関与とその影響力により絶対摘発されない」という説得を全面的に信用してしまった。
(六)被告人は下境の説得にいささかの疑問を持ちながらも、結局谷川元局長の存在とその魅力に眩惑され、下境の誘惑に「重大な危険」を忘却してしまったのが、本件犯行動機の真相であり、単に経済的欲望とか、人脈形成による税理士会会長就任の欲望とかという不純な動機だけが優先したものではなかったのである。
むしろ、被告人の業界活動において、絶対的な権威者として位置づけ評価され且つ大蔵省OBでもエリートの存在を確信させるが如き状況を用意された時、被告人でなくとも、その誘惑に負けて同様の過ちを犯さないと断言できようか。この点是非とも斟酌して戴きたいのである。
二、被告人が支払った代償について
(一)原判決は、「本件が発覚することにより、多数の顧問先や多くの従業員を抱えて順調に進んでいた税理士業務をはじめ、関東信越税理士会副会長、日本税理士連合会常務理事などの公職を自ら辞し、永年に亘って築いてきた実績や信用を一度に失うなど被告人が本件で支払った代償は極めて大きく、相当の社会的制裁を受けた」(原判決二〇丁裏)と同情すべき有利な事情が認められるとしながら、被告人のための酌むべき諸事情は、刑期の点で考慮するのが相当であると評価しているが、これは被告人の代償からすれば、余りにも厳しい量刑である。
(二)被告人は、税理士会の指導的立場にありながら、本件に加担し、税理士制度に対する社会的信用を失墜せしめたことを猛省し、二百数十社の顧問先、十数人の従業員を抱えて順調にその業務を営んできた税理士の資格を返上し、関東信越税理士会副会長、日本税理士連合会常務理事等、十指に余る公職を全て自ら辞した上、何十年にも亘って築きあげて来た実績や信用をいっぺんに失ったのである。
(三)又、原審において実刑判決の言渡しがあってからは、それまで被告人の社会的復権を望んでいた関東信越税理士会や日本税理士連合会から一方的に連絡を断たれてしまった。
自らが招いたとはいえ、一生懸命尽くしてきた税理士会から、そっぽを向かれ見捨てられた被告人の悲嘆は計り知れないものがある。
(四)被告人の六三歳という年齢、税理士会との関係を考えるならば、被告人が今後、税理士に復帰することは絶無である。
本件により、被告人が支払った代償は、将来回復し得るようなものてはなく、その失ったものは、永久に回復し得ない代償である。
(五)以上のように、被告人が十指に余る公職を辞し、税理士資格を返上して、社会的地位のみならず、その経済的基盤まで永久に放棄した点は、単に刑期において考慮すれば足りるというには、余りにも酷に失する評価である。
三、原審判決後の被告人の情状
(一)被告人は、原審から実刑判決の言渡を受けた後、再度の保釈になっても、従前同様謹慎の毎日を送っており、以前にもまして自らの責任の重大性を日々身をもって痛感している。
(二)被告人は、社会的地位のみならず経済的基盤をも放棄したばかりか、今では税理士会からの音信も全く杜絶し、本件による社会的制裁をひしひしと感じているのである。
(三)被告人は、昭和六三年一二月三日をもって、その唯一の職であった、会計事務計算センター(株式会社組織)の代表取締役の地位も辞し、本件の贖罪につとめている。
被告人に対しては、以上の如き情状面の諸事情が認められるが、原判決は、「有利或いは不利な諸事情を総合勘案すると小宮に対しては、直ちに実刑に処するよりは、相当期間その懲役刑の執行を猶予し、社会内で自力更生のための努力をさせるのが、当を得た措置であり、被告人については酌むべき諸事情は刑期の点で考慮するのが相当である。」旨判示し、被告人と小宮の間で異なった結論を下すに至った。これは前記諸事情によって余りにも被告人に厳しい量刑である。被告人は今や六〇歳を越えた老境に達し、しかも本件によっても決定的且つ回復し得ない恥辱と汚名を受け、社会的復帰の望みさえも断たれている現状である。又、被告人はすでに約三ケ月に及ぶ長期間の勾留を受け、実質的には服役と同じような苦痛を身をもって体験しているばかりか、現在の心境やその他の諸事情からしても、将来被告人が間違いを起こす危惧は全くないといってもはばからないし、弁護人も確信するところである。これらの情状を全て総合勘案すれば、被告人については、もはや刑政における応報の目的も十分達せられていると同時に、一罰他戒の警世的効果もあがっていると認められるところから、量刑において被告人に対し、どうしても実刑を以ってのぞまなければならない理由はないものと思われるのである。小宮において社会内における自律更生を認め得るならば、被告人の現在おかれている右立場や条件こそ、小宮同様に自律更生を期待することが望ましいとすることが真の刑政ではなかろうか。
被告人に対し、小宮同様に是非共執行猶予の恩典に浴させ、安心立命の心境にて被告人の余生を送らせて戴くよう、特段の御斟酌を賜りたく控訴に及んだ次第である。